2005年9月23(金) 雨のち晴時々曇

 フェリーは朝4:20頃到着した。到着すると下船が始まるが、この航路については朝7:00まで船の中ですごすことが出来る。ただし、車両は先に降ろさなければならないので、私はバイクを先にフェリーから降ろし、再びフェリーに戻って船内で仮眠を取った。

 7:00になると、船内の明かりが再び点灯されたので下船した。待合室に入り、まだ無人の案内書に置いてあったパンフレッドをもらい、早速島内めぐりに出発することにした。外は小雨が降っていたが、大したことはなかったので雨具をつけることなく出発した。

 まずは対馬海峡に面した豊砲台跡を訪れることにした。豊砲台は第二次世界大戦中、対馬海峡の防衛のため設置されたものであるが、一度も実戦に使用されることなく終戦を迎えたとのことである。現在では砲台は撤去されているが、建物の遺構は残っている。県道182号線を北上し、途中日露戦争の記念碑にて記念撮影をした後、砂利道を上り砲台跡に到着した。砲台跡は百円玉を入れると内部に照明が点灯する仕組みになっていたので、早速百円玉を入れて中に入った。中は照明が点灯しているものの薄暗く、遺構が当時の面影を残しており当時の姿が偲ばれた。

 続いては、韓国展望所に向かうことにした。晴れていれば韓国の釜山が見えるという。県道182号線に戻り、10:00前に展望台に到着した。展望台に到着した頃には天気も回復してきて晴れ間が広がり景色も良かったが、残念ながら釜山は確認できなかった。天気も良かったのでしばらく展望台にてくつろいだ。

 次はツシマヤマネコを見るために「野生生物保護センター」に立ち寄ることにした。県道182号線→国道382号線を通り、途中で山道に入ってしばらく進むと「野生生物保護センター」が現れた。中に入るとツシマヤマネコに関するさまざまな展示コーナーがあり、しばらく見学したあと、本物のツシマヤマネコを見学した。ここで飼われているツシマヤマネコはネコのHIVに当たる病気にかかっており、野性に戻すことが出来ないのでここで飼われているという。また、ツシマヤマネコは開発による生息域の減少や交通事故等により数を減少させているという。このような希少動物を何とか保護できないものかと考えさせられた。「野生生物保護センター」の後は、センターのすぐ近くにある「日本最西北端の碑」に立ち寄り記念撮影をした後、厳原に向かうため国道382号線に戻り南下した。

 昼食時を過ぎていたので、途中の峰町で天ぷらうどんを食し、さらに国道382号線を南下して万関橋に到着した。この万関橋は、明治時代に軍艦を通すために、ひとつの島であった対馬に運河を設置したことにより、島が上・下の2島に分かれてしまったために架けられたという経緯がある。万関橋で記念撮影をした後、引き続き南下して15:00頃に厳原に到着した。

 厳原に到着すると早速今晩の宿を電話帳で調べ、一軒のビジネスホテルの予約を取ることが出来た。ホテルにチェックインをして荷物を降ろし、市内にある万松院を訪れることにした。万松院は対馬を治めていた宗氏の菩提寺で、代々の君主の墓がある。宗氏は鎖国政策をとっていた江戸時代にあって朝鮮王朝と交易し、また朝鮮王朝に対して幕府側の窓口ともなっていた。朝鮮通信使の往来に対しても幕府との橋渡し役となっていた。万松院の建物の中に入ると朝鮮王朝から送られた品々や徳川歴代将軍の位牌などがあり、離島の君主の菩提寺にとは思えないものであった。

 

次に建物の外に出て君主の墓に続く石段を昇った。宗氏は江戸時代以前から続く家系であるため、墓の数も多い。木々の中に囲まれ厳かな雰囲気であった。万松院の見学を一通り終えた後、金石城に立ち寄り一旦厳原中心部に戻った。

 中心部に戻ったが、まだ日が暮れるまで時間があったので対馬の伝統的な家屋である「石屋根」を見ることにした。石屋根の家屋は厳原とは反対側の西海岸の椎根地区にある。市内から国道382号線→県道44号線を通り、夕方17:00頃到着した。石屋根で記念撮影をした後、島の南部を周回する県道24号線を走り、豆とうの家並みで記念撮影をして、島の南側を周回する形で厳原に戻ってきた。

  ホテルに戻ったころには19:30を過ぎていたので、夕食を食すことにした。最初は対馬名物の石焼き料理を希望したが、予約が必要ということで諦めた。海の幸を食したいと思い、小料理屋風の店に入り、イカの造り定食と地元の焼酎(銘柄「ヤマネコ」?)をいただいた。食事を終えた後、土産に対馬銘菓「かすまき」を購入し、ホテルに戻って就寝した。

 

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