2007年9月7日(金) 天候 曇のち晴

 今朝は7:30頃に起床した。朝風呂に入り下船の準備をした。フェリーは8:10過ぎに新門司港に到着した。空は曇り気味で雨が降りそうな感じでではあったが、天気予報だと天気は回復するとのことであったので、そのまま出発することにした。8:40頃に新門司ICから九州道に入り、九州道→長崎道→長崎出島道路経由でひたすら走り続け、10:40頃に長崎港のフェリーターミナルに到着した。

 フェリーターミナルに入り、五島列島に渡るフェリー(九州商船)の窓口にて早速チケットを入手した。(旅客(二等)1名+750cc以上=5880円) 時刻を見るとまだ11:00過ぎであったので、出港まで近くをぶらつくことにした。まずは長崎駅にて記念撮影をした後、食事をしたかったが時間の関係もあったので、本場の長崎カステラを食すことにした。国道499号からグラバー園への上り口にある長崎堂に立ち寄った。店に入り、カステラを注文し食した。甘すぎずうまかったので、店を後にするときにきりかす(カステラの切れ端)を購入した。出港時間も近づいたのでフェリーターミナルに戻った。11:50頃にバイクの乗り込みが始まった。フェリーは古びた感じで、いかにも生活航路という感じであった。旅客は車などがなければジェットフォイルの方に流れているのだろう。フェリーは12:10に長崎港を出港した。

 出港したフェリーは、女神大橋をくぐり抜け外海に出た。思ったほど揺れもなく順調な航海であった。フェリーの中は売店が1つあるだけだったので、しばらく海を眺めた後、門司から走り続けた疲れもあり船室で先ほど購入したきりかすを食しながら少し休憩した。そうこうしているうちにフェリーは中通島に近づいてきた。五島列島に釣りに来たという人と少し話をしているうちに、予定通り14:55に中通島は奈良尾港に入港した。

 今回のツーリングの最初の目的地は中通島としていたので、奈良尾港に上陸した。今回は日程も限られているので、五島列島の主だった島のひとつである中通島を最初の上陸地とした。上陸して早速教会巡りを開始した。五島列島はキリスト教信者が多い島であり、江戸時代は幕府や各大名の迫害を逃れて隠れキリシタンが多く住んでいたことでも有名である。その土地柄ゆえに、明治時代になりキリスト教が解禁になった後で、多くの教会が建立されるようになったようである。奈良尾港から国道384号→県道22号→町道を経由し、まず最初の教会である福見教会にたどり着いた。

 福見教会は1924年(大正13年)に、フランス人宣教師ヒュウゼ師によって建立されたと伝えられている、レンガ造りの教会である。中に入ると、ステンドグラスから射す日差しが教会内を照らし、厳かな気分となった。また、教会が地域の人たちに大切に守られてきているというようであり、地域の人たちと教会との深い絆を実感した。しばらく教会内を見学して、福見教会を後にした。

 さらに県道22号を北上すると、浜串という地区にたどり着いた。ここで右折し町道に入り、急坂を下ってドンつきまでやってきた。目指したのは希望の聖母像であった。この聖母像は漁の安全を祈願して建立されたとのことである。聖母像を後にして北上する前に、芦山の滝が気になったので少し戻り、県道211号に入ると、道路から谷を挟んで芦山の滝があった。「あった」ということであるが、この日は水が枯れていて滝を見ることが出来なかった。滝を早々に引き上げ北上することにした。

 県道22号を北上し、次にたどり着いたのは鯛ノ浦教会であった。鯛ノ浦教会は、1881年(明治14年)にフランス人宣教師ブレル師によって建立され、1903年(明治36年)と1979年(昭和54年)に現在の聖堂に建て替えられたとのことである。建て替えの際には信者の方々の多くの寄付があったとのことである。たどり着いたときにはミサが行われていて中には入れなかったが、外にあるルルドや殉教者の像などを見て、五島列島のキリスト教とのつながりや迫害の歴史などを思い浮かべた。

 鯛ノ浦教会を後にして、県道22号から国道384号に合流し、一旦青方に向かった。今日は青方で一泊することを考えていた。青方に入り、「青方サンライズホテル」(一泊シングル6300円)に一旦チェックインして、荷物を部屋に持ち込んだ。時刻は17:00を過ぎていたが、外もまだ明るかったので、もう一箇所行きたい教会に向かうことにした。

 青方から国道384号を有川方面に走り、有川で県道62号に入りさらに北上した。時刻は18:00をまわっていたがので先を急いだ。頭ヶ島大橋を経て頭ヶ島に渡りると、目指す教会が見えてきた。たどり着いたのは頭ヶ島であった。頭ヶ島教会は1919年(大正8年)に建立された石造りの教会である。ちなみに、石材は島で産出されたものであり、また教会は国重要文化財に指定されている。18:30になるところであったが、管理人の方に中に入れてもらった。外面の重厚な印象とは異なり、中は素朴な感じで正に信仰の場というのにふさわしい。重要文化財に指定されても、地域の人たちの信仰の場であることに変わりはないと改めて実感した。あまり長居をしてはいけないと思い、教会を後にした。

 青方に戻る前に、頭ヶ島にある上五島空港に立ち寄った。上五島空港は1981年(昭和56年)に開港したが、船舶との競争に押され2006年3月末をもって定期便がなくなり閉鎖中となっている。地方空港の存続の厳しさを改めて実感させられた。離島の交通手段としての必要性と採算性という相反するものは共存できないのだろうか。そのようなことを思いつつ、日もかなり傾いてきたので引き返すことにした。海岸線を眺めながら来た道を引き返し、有川に到着した頃には日もすっかり暮れていた。

 時刻も19:00を過ぎていたので有川で夕食を取ることにした。あらかじめホテルで教えてもらっていた「竹酔亭」カミティ店に入った。席に座り、天刺定食(1575円)を注文した。五島列島の魚と、なんと言っても五島うどんを食したかったからであった。ちなみに「竹酔亭」はテレビ東京の番組「TVチャンピオン」で讃岐うどんなどの強豪と競い合い2位となるなど、TVでも有名だとのことである。今日はカステラ以外食事をしていなかったのでおいしく食した。また、観光案内所でもらったクーポンで五島うどんの乾麺がついてきた。これで自宅でも五島うどんが楽しめる。満足したところで店を後にした。

 有川からホテルに戻ると、よろしければバイクを屋内に停めてくださいと言われたので、有難く入れさせてもらった。バイクを停めて、青方の街中をひと歩きすることにした。時刻は20:30頃であったが、さすがに離島の街の夜は早かった。何件か開いていた飲食店のひとつの「寿太郎」に入り、また五島うどん(天ぷらうどん)を注文した。先ほど食してから時間は経っていなかったが、出てきたうどんをおいしく食した。五島うどんはお気に入りになってしまった。すっかり満腹になったところでホテルに戻り、明日の予定を立てて23:30過ぎに就寝した。

【走行距離:325.2km】 

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