2007年9月8日(土) 天候 晴

 今朝は6:00頃に起床した。今日は日程の関係上、10:30若松島発福江島行きのフェリーに乗船することにしたので、早起きして教会巡りをしようと考えた。荷造りをして、6:30過ぎにホテルを出発した。

 まずは中通島を北上することにした。青方から国道384号→県道170号→県道32号を走り、最初の目的地である青砂ヶ浦教会にたどり着いた。青砂ヶ浦教会は、長崎県下に多くの教会を建造した鉄川与助により、1910年(明治43年)に建立されたレンガ造りの教会であり、国重要文化財に指定されている。教会の中はステンドグラスが朝日に照らされて、幻想的な雰囲気であった。しばらく教会内を見学して次に向かった。

 次に向かったのは江袋教会であった。江袋教会へは青砂ヶ浦教会から県道32号→県道218号を北へ向かうことになる。さすがに9月下旬ともなると朝は少し寒かった。江袋地区に入り、教会とおぼしきところを見つけたので、近くにバイクを停めそこへ向かった。しかしながら目の前に現れたのはシートに覆われた上屋であった。江袋教会は1882年(明治15年)、フランス人宣教師ブレルの指揮により建立された、木造瓦葺平屋建ての教会で、実際に使用されている木造の教会の中では国内最古のものであった。しかし、2007年(平成19年)2月12日に火災により消失してしまった。現在復元中だという。木造の文化遺産はいかに火災に弱いものなのかを実感させられた。仕方がないのでさらに北へと向かった。

 さらに県道218号を北上した。中通島北部は細長い半島のようになっており、一番狭いところでは幅数百mである。また道は山沿いのワインデイングが続いており、山がすぐ海に迫っている険しい地形の中を走り続けた。しばらく走り続けて、中通島最北の津和崎地区の集落に到着した。最果て感が漂っておい郷愁を感じた。目指すは津和崎鼻(中通島最北端)である。県道218号のドンつきからさらに管理道?に入ると、灯台への階段を見つけたのでバイクを駐車した。階段を上り灯台のあるところにたどり着いた。津和崎鼻は海に細長く突き出しているので、すぐそばに野崎島を望むことが出来、さらに小値賀島も望むことが出来た。朝も早く空気も澄んでいるので絶景である。野崎島との間の津和崎瀬戸を見るとフェリーが航行していた。恐らく小値賀島から佐世保へ向かう九州商船のフェリーであろう。しばらく景色を眺めた後、時刻も8:00となったので来た道を南下することにした。

 県道218号を南下して、仲地地区に差し掛かった。北上時は気づかなかったが、県道の脇に「五島・平戸領境界」の碑が立てられていた。同じ島でもこの境界の南北で文化などが異なるそうである。たしかに険しい地形ということもあり集落同士の行き来もあまりなかったのだろう。県道32号に入り、赤岳断崖に立ち寄った。改めて中通島の地形の険しさを目の当たりにした。さらに県道32号→県道170号を通り、さらに国道384号に合流し南下を続けた。

 中ノ浦地区に入ったところで時刻を見ると9:20であったので、近くにある中ノ浦教会に立ち寄ることにした。中ノ浦教会は1925年(大正14年)に建立された木造教会で、水辺に映し出される姿が美しいといわれている。(この日はさざ波があり見ることが出来なかったが・・・) 教会の中は椿の装飾が印象的であった。椿は五島列島の特産品である。キリスト教の信仰と地元の象徴の椿を融合させている様が、キリスト教の信仰の深さを物語っているようであった。フェリーの時間が気になりだしたので、教会を後にした。

 国道384号から県道46号に入り、若松大橋に差し掛かった。若松大橋は、中通島と若松島を結ぶ全長522mの下路式トラス橋で、1991年(平成3年)に開通した。若松大橋から見る若松瀬戸の眺めは迫力があった。記念撮影などをして若松港に10:00に到着した。フェリーターミナルでチケットを購入した。(五島旅客船 若松→福江 旅客+750cc以上=1630+2030=3660円) 少し時間があったので、近くの生協でドリンクを購入してからフェリーに乗り込んだ。フェリー(フェリーオーシャン)は定刻どおり10:30に若松港を出港した。

 

 船内は小型でこじんまりしていたが、内装は新しく快適であった。フェリーは若松大橋をくぐり、若松瀬戸を航行した。進行方向右側には、白崎海蝕崖らしき断崖やハリのメンドと呼ばれる岩場の洞が見えた。海からしか近づくことが出来ないようであったので、フェリーに乗りながら眺めることが出来て得した気分になった。景色を堪能しているうちに若戸瀬戸を抜け、11:20にまずは奈留島に到着した。奈留島は、1974年(昭和49年)に長崎県立五島高校奈留分校(現:長崎県立奈留高校)の生徒が深夜ラジオに校歌を造ってほしいと投稿し、荒井由実が要望に答え「瞳を閉じて」を作詞・作曲して同校に送ったことで有名である。現在は長崎県立奈留高等学校の愛唱歌となっている。(同校には歌碑が建てられている)。今回は日程の都合上上陸は出来なかったが、いつかはぜひ来てみたい島である。フェリーは10分ほどの停泊の後、11:30に奈留島を出港した。フェリーは五島灘をひたすら航行し、予定通り12:15に福江島に到着した。

 上陸してすぐにフェリーターミナルに入り、ターミナル内の軽食コーナーで五島うどんを食した。出てきたうどんはシンプルだったが、アゴだしがいい味を出しておりうまかった。ターミナル内のインターネットコーナーでホテルを検索したところ、ターミナルから10分くらいのところにある「五島ホテル」(シングル5300円)を見つけたので、すぐに電話をかけて、早速ホテルに向かいチェックインした。部屋に荷物を置いて身軽になったところで、13:00過ぎに早速福江島1周ツーリングに繰り出した。

 市街地から県道162号を北上した。まず向かったのは堂崎教会であった。堂崎教会は、1879年(明治12年)に、禁教令解除後の五島における最初の教会として、フランス人宣教師マルマンにより設立された。現在の建物は、1908年(明治41年)にマルマンの後任のフランス人宣教師ペルーにより建立された、五島最古のレンガ造りの教会である。(入館料300円)まず先に併設されている民俗資料館などで戦前戦後の民具等を見学した後、教会内に入った。

 

 

 

教会内部は資料館となっており、マリアに見立てて拝んだというマリア観音など、江戸時代における隠れキリシタンの受難の歴史を物語る資料が展示されている。中に入り様々な資料を見学し、苦難の歴史の一端を学んだ。一通り見学をした後、教会を後にした。

 県道162号を戸岐湾沿いに走り、国道384号に合流してさらに西へ向かった。次の目的地は水ノ浦教会であった。水ノ浦教会は1880年(明治13年)にフランス人宣教師ザルモによって設立された。現在の建物は、1938年(昭和13年)に建立された、木造の教会としては日本最大級の教会である。白亜の教会と空と海の青のコントラストが印象的であった。中に入り一通り見学して、教会を後にした。

 国道384号を先に進み、道の駅「遣唐使ふるさと館」に立ち寄った。食事でも取ろうとしたが、生憎この時間帯(14:30頃)は営業していなかったので、諦めて次に向かった。国道384号から県道223号に入り、さらに市道に入り、岳教会(三井楽教会)に到着した。岳教会は1880年(明治13年)に設立されたが、老朽化のため1971年(昭和46年)に、木造からコンクリート造りの教会に建て替えられた。外壁のモザイク画は、島内で採取された貝殻で描かれとのことである。教会内は天井が高く広々としており、内壁にはキリストの生涯らしき絵が描かれていた。地元の人々と非常に密接した教会であることを印象付けられた。
 

 岳教会を後にして、キリスト教徒墓地の前を通り、柏崎の辞本涯の碑に立ち寄った。空海が渡唐の際に、日本最後の寄港地として五島列島に立ち寄ったとされることからそれを記念して立てられた碑とのことである。空海の時代に思いをはせながら?県道233号→国道384号を南下した。国道沿いに高浜海水浴場が見えてきたので立ち寄った。高浜海水浴場は、日本の渚100選や環境省の日本の海水浴場55選にも選ばれており、非常に風光明媚な浜である。この日は9月ではあったが気温も高かったので海水浴客がいた。しばらく海を眺めたあと再び走り出し、荒川郷に到着した。ここで荒川温泉共同浴場に入った。(300円) 荒川温泉は五島最西端にある温泉である。今日はずっと走り続けていたので疲れが癒された。

 温泉に入りさっぱりしたところで再び走り出した。国道384号→県道50号に入り、井持浦教会に立ち寄った。井持浦教会は1897年(明治30年)に設立された教会で、現在の建物は1987年(昭和62年)に改装された。教会敷地内にあるルルドは1895年(明治28年)に、フランス人宣教師ペルーにより建立されたもので、日本で始めてのルルドである。ミサ中だったので中には入らずにルルドを見学した後、さらに県道50号を走り、玉之浦教会を通り過ぎ玉之浦大橋を渡り、島山島に渡った。ここで道は行き止まりっぽかったので引き返すことにした。

 途中玉之浦のアコウ樹に立ち寄り、来た道を引き返したが、時刻は17:30を回っていたものの、空はまだ明るかったので最後の締めとして大瀬崎に向かうことにした。県道50号から市道に入り上り道を走ると展望所らしきところに到着した。展望所から眼前に広がる東シナ海と大瀬崎の景色が非常に印象的であった。展望台から見える灯台は遠く、アップダウンも激しそうであった。しかし、ここまで来れば行かないわけにはいかないので、決心して灯台に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

案の定アップダウンが激しくしんどい思いをしたが、何とか灯台にたどり着いた。たどり着いたときには夕日が東シナ海に沈むところであり、私的には一番よい時間帯に来たという満足感に浸った。また、大瀬崎の断崖も非常に見ごたえがあった。灯台からバイクに戻ったときには夕日が沈み暗くなってきたので、福江に戻ることにした。

 福江に向かい県道50号→国道384号をひたすら走ったが、夜が更け周りは真っ暗な森であり、しかも道が途中で1〜1.5車線となり非常に心細かった。黒瀬あたりでようやく森を抜け、さらに走り富江にたどり着いた。ここでもう一軒温泉に入るべく「富江温泉センターたっしゃかランド」に立ち寄った。(500円) 中に入ると健康ランドのような造りであり、大浴場・サウナなどを堪能した。風呂上りに施設内のレストラン「ちそう処 喜笑」に入り、奮発して五島牛喜笑ステーキセット(2100円 五等観光連盟クーポン券で1割引後1890円))を注文した。出てきたステーキは、五島牛という先入観もあったかもしれないが、やわらかくうまかった。食後はしばらく施設内でくつろぎ、21:00前に施設を後にした。

 県道31号→県道49号をひたすら走り、福江市外で国道384号に合流し、21:30頃にホテルに戻ってきた。バイクを置いて福江市街に繰り出したが、22:00頃にもなると商店街などもスナック以外はほとんど店じまいの状態であった。離島の夜は早いものである。五島牛も食し腹も満たされた状態であったので、ホテルに戻りホテルのサウナに入り、0:00前には就寝した。

【走行距離:228.1km】

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