2011年1月3日(月)−1月4日(火) 天候 晴

 朝は7:00過ぎに起床した。今年も約17時間かけて日本へ帰国する日となった。1階の食堂に降りると、朝食の準備がされていたので、皿にパン・ジャムなどを載せテーブルに付いた。今年は先客はいなかったので私の一番乗りであったので、すばやく食して席を立った。  食後、シャワーを浴びて部屋に戻り荷造りをして、今日搭乗する飛行機が昨年と同じ11:25発であるため、9:00にチェックアウトして、サンタ・クルス・デ・マルセナードユースを出発した。

 ユースから最寄の地下鉄駅であるアルグエリェス(Arguelles)駅に向かい、昨日と同じ要領で切符を購入した。 まずは市内を環状で結ぶ地下鉄6号線に乗車した。9:13に乗車し、12・3分ほどでヌエボス・ミニステリオス(Nueos Ministerios)駅に到着した。この駅で8号線から、9号線に乗り換えた。 15分ほどでT1-T2-T3ターミナル駅に到着した。時刻は9:50過ぎであった。去年乗車したときに、市内からバラハス空港(Aeropuerto de Barajas)まで35分ほどで行くことが出来ることがわかっていたので、ゆとりを持って移動できた。

 去年は戸惑ったが、今年はすんなりと精算機で1ユーロを投入して改札口を抜け、空港内に入った。ターミナル1まで10分くらい?歩いてようやくチケットカウンターに到着し、アエロフロートSU290の搭乗手続きを済ませた。帰りも行きと同様に荷物を預けることにした。出国審査の手続きを行い、搭乗口に到着したことには時刻も10:30を過ぎていたので、搭乗時間まで大人しく待つことにした。11:00頃にようやく搭乗手続きが始まり、飛行機に乗り込んだ。 

 飛行機は予定の20分遅れの11:45頃に出発した。機内食の時間となりお馴染みとなった機内食を食した。

去年は気づかなかったが、窓をのぞくとピレネー山脈が見えた。また、しばらくすると、フランスはニース近郊のコートダジュール空港やニース市街も見えた。(写真左:コートダジュール空港、写真右:ニース市街) 世界の地理の授業でよく学んだ都市を上空からこの目で見ることが出来て少し得した気分になった。行きと同様マドリッド〜モスクワ間の飛行機にはゲームが付いていなかったので、写真の整理などをして過ごした。予定より40分遅れの18:30(現地時間)頃にモスクワはシェレメーチエヴォ国際空港に到着した。モスクワとスペインの時差は2時間であり、5時間の飛行機旅であった。

 今年は、行きと同様に横柄でないトランジット審査のあと、次の便(SU581)の搭乗口に向かうため、これも行きと同様に行先掲示板で慎重に搭乗口を確認した。今年は帰りも別のターミナルであったので、やはりターミナルが去年とは変わったようであった。搭乗口に到着したが、去年はターミナルを徘徊していたら乗り遅れそうになったので、おとなしく搭乗口近くで待つことにした。20:00過ぎに、搭乗口からバスに乗るため建物を出ると、外は雪が積もっていて大変寒かった。モロッコの温暖な気候に慣れてしまった私にはこの寒さは堪えた。何とか飛行機に乗り込みほっとした。飛行機は予定より1時間遅れの20:40頃に出発した。

 しばらくして2回目の機内食を食し、その後ゲームなどをして過ごし、3回目の機内食も律儀に食した。昨日と一昨日は長距離を走り、疲れが取れていなかったこともあり就寝した。私が就寝しているうちに日付は1/4となり、飛行機は日本の近くまで到達していた。予定(10:55)よりも約1時間遅れの12:00過ぎに成田空港に到着した。

 入国手続きを素早く済ませ、手荷物ターンテーブルで自分の荷物が来るのを待った。今年は去年とは違いすんなりと出てきたので安心した。素早く税関も通り過ぎ、エアポートバスに乗り込んだ。時刻は13:00になっていた。バスは順調に走り続け、神奈川県の最寄り駅に14:30頃に到着した。久しぶりの日本は正月明けで浦島太郎の気分であった。2011年初の日本で買い物をし、さらにうどんを食して15:00頃に自宅にたどり着いた。

 今回は初のアフリカをツーリングを敢行したことに大きな意義があったと思う。モロッコは観光客相手に金をせしめようと言う輩も多かったが、基本的には人が良いのであろう。また、せしめると言うのは、見方を変えればイスラムの喜捨の精神から来るもので、富める者は貧しいものに施さなければならないと言う考えが根底にあるのだろうと考えるようになった。いずれにせよ、モロッコの主な世界遺産やサハラ砂漠にバイクで行くことが出来たのは大変有意義であったと思う。また是非モロッコやその他アフリカツーリング(特にアルジェリア・リビアなどのアラブアフリカ)を敢行したいと思う【完】 

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