2006年5月4日(木) 天候 晴

 朝は6:30に起床した。今日は韓国最北端の高城統一展望台に向かう予定である。朝7:30にホテルを出発し国道7号線を北上した。道はやはり高速道路並みの片側2車線道路で、9:00頃には統一安保公園に到着した。駐車場には多くのバスが止まっており、そこから小・中学生らしき団体が降りてきた。かなりの人数である。統一展望台見学は韓国の学校教育の一環となっているのかもしれない。統一展望台にはバイクで行くことが禁止されているため、その他の手段を使わなければならないが、ハイシーズン以外はシャトルバスが運行されていないためタクシーなどで行くしかない。しばらく公園内の売店をうろつき、やきとり(2000ウォン)を食したりした後、観光案内所に交通手段をたずねることにした。案内所の中にはガイドの女性が1名座っていて、「地球の歩き方」を使い韓国語で問い合わせようとすると、日本語で返答してくれたので大変助かった。そのガイドさんの名前は後から聞いたところKさんと名乗ってくれた。Kさんは電話でタクシーを手配してくれた。タクシーで「統一展望台」を往復して40000ウオンとのことである。タクシーが案内所に到着したので、「統一展望台」見学料の2000ウオンを先に案内所で払い出発した。

 統一展望台は安保公園から10kmほど北にある。途中、軍の検問所を通り海岸線沿いの国道7号線を北上した。出発から15分ほどで到着した。タクシーの運転手さんはガイドとして案内もしてくれるとのことなので、運転手さんに付いていくことにした。

 

 

 

統一展望台は高台の上にあり、長い階段を上りきったところにある。階段を上り展望台の建物の中に入る。中には北朝鮮の体制・生活等の紹介コーナーがあり、運転手さんに解説してもらった。もちろん韓国語は分からなかったが、英単語も交えながらの会話が出来たので、何とか概要だけは理解した。(つもりである) 次に海岸線が一望できるテラスに出た。テラスからは朝鮮半島随一の景勝地である金剛山が一望できた。金剛山は北朝鮮側にあり、通常は展望台からしか眺めることは出来ないが、最近は金剛山ツアーたるものもあり、韓国経由で日本人も行くことが出来るらしい。金剛山は西から東に向かって、そのまま日本海(韓国名:東海)にまで連なっている。その海側の山を海金剛という。見事な眺めである。次に望遠鏡で景色を眺めると、山の中腹に北韓の監視所らしきものが見えた。そこから海側に目をやると、南北を結ぶ道路と鉄道が見えた。特に鉄道のほうはほぼ完成しており、今年試運転を行うらしい。金剛山の眺めを堪能したあとは展望台の中にある売店にてみやげ物を探した。売店は北朝鮮の酒などを扱っていた。その中で進められたのがウイスキーらしきもので、店のおばさん曰く、2000年の南北首脳会談のときに酌み交わされたという酒とのことなので、それを買うことにした。値段は18000ウオンだった。

統一展望台の景色を1時間ほど堪能して引き返すことにした。途中の海岸線は鉄条網が張り巡らされており、やはり今でも軍事境界線の最前線にいることをいやでも実感させられた。統一安保公園まで戻り、運転手さんに礼を言いタクシーを降りた。その後案内所に再び立ち寄り、Kさんに礼を言う。Kさんと記念撮影をさせていただき、写真を送ることを約束し住所を交換して、案内所を後にした。

 安保公園から国道7号線を再び南下した。道の両側はコンクリートブロックが並べられていた。敵が侵攻してきたとき、このブロックで道路を塞いで敵の侵攻を防ぐとのことである。途中、花津浦に立ち寄ることにした。ここは金日成と李承晩の別荘に使われた建物がある。この地域は、第二次世界大戦直後は北朝鮮領であったが、朝鮮戦争の後韓国領となったためこのように南北の指導者の別荘が直近にあるという状況が生じたわけである。

 

金日成の別荘跡に入ると、ここでも北朝鮮の体制や生活等の紹介コーナーがあった。建物の外に出て階段を下りると、幼年期の金正日が階段に座っている写真が掲げられていた。次に、近くにある李承晩の別荘にも立ち寄った。ここには李承晩が生活に使用していたとされる部屋が再現されていた。

 

 

 

 

花津浦を後にして束草に戻ったが、手持ちのウオンが残り少なくなっていたので、市内の銀行で両替することにした。回りは当然韓国人ばかりであったが、順番待ちをしていると隣の子供連れのお母さんが私に日本語で話しかけてきた。「日本人です。バイクで韓国を回っています。」と答えると、このようなところで日本人に会えたことによる感激と驚きが入り混じった表情をしていた。その方も日本人で、現在は束草で暮らしているという。しばらくその方と話をした後、両替を済ませて銀行を後にした。

束草といえば海の幸も有名だが、なんと言っても名勝雪岳山観光の拠点として有名である。雪岳山はこの付近に連なる山々の総称であり、中核をなす大青峰は韓国で3番目に高い山(1708m)である。ここまで来れば登るしかない(ロープウェーで)ということで、雪岳山へ向かった。バイクで市内から20分ほどで公園駐車場に到着した。公園入り口で入場料を払い、ロープウェー乗り場へ向かった。

   

 

 

 

ロープウェーに乗り5分ほどで権金城に到着した。そこから10分ほど歩くと山の頂上(らしい)ところにたどり着いた。山の上なので風も強く立っているのも大変だったが、景色が大変よく束草の街を一望することが出来た。

30分ほど雪岳山を堪能したあと、再びロープウェーで下山して麓に戻った。そろそろ今夜の宿泊地を決めなければならないが、「江原道に来たならば春川のタッカルビを食さずに帰れない」と思い、春川を今晩の宿泊地に決めた。春川に行く前に38度線での記念撮影を忘れていたので、束草から少し戻り38度線に向かった。途中石橋里という農村を通りかかった。この辺りは韓国の農村風景が広がっており、日本の農村を走っているような、懐かしい感じを受けた。国道に向かうに当たっては地方道を通ったが、スピード抑制のためのバンプが数多く設けられていた。韓国のスピード違反は深刻なのであろうか。バンプが気になるので地方道ではスピードが出せなかった。これは他の地方道でも同様であった。地方道から国道7号線に合流し、しばらく走るとドライブウェイに到着した。早速緯度標にて記念撮影をして、国道44号線→国道31号線→国道46号線を通って春川に向かった。花崗岩の険しい山々の風景を見ながら道路はひたすら標高を上げていった。途中寒渓嶺のドライブインに立ち寄り休憩した。すでに19:00前となっていた。春川までまだ距離があるのでひたすら走り続けたが、辺りはすっかり暗くなり、また気温も下がってきて走行するのがきつかった。それでも走り続け、ようやく春川に到着した。時間は21:00頃であった。

春川に到着すると、早速春川市庁の近くのモーテルにチェックインをして、明洞に繰り出した。空腹であったので早速タッカルビを食すため「地球の歩き方」に掲載されている「ポッチョンタッカルビ」に入った。早速タッカルビを頼むと、鉄板いっぱいにタッカルビが盛られ、それを店のアジェマが炒め始めた。しばらくすると出来上がったので食すことにした。タッカルビを食したあとはチャーハン用のライスを頼んだ。チャーハンも店のアジェマが炒め始めた。タッカルビを食した後なので少し苦しかったが折角なので完食した。店を出た後は少し明洞をうろついた。通りにはタッカルビ通りをアピールするプレートが埋め込まれていた。春川を代表する名物としてアピールしている意気込みが感じられた。また、通りには「冬のソナタ」ののぼりが立てられていた。もちろんヨン様とジウ姫の写真入である。一時のブームは落ち着いたようだが、今でも冬ソナの街としてアピールしたいという意気込みが伝わってきた。そういえば先ほど入ったタッカルビの店でも冬ソナのパンフレッドをもらった。眠たくなってきたので、宿に戻り就寝した。

(走行距離:370.3km)

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