2008年5月6日(火) 天候 晴のち曇のち雨

 朝は6時半に起床した。今日は台湾の東海岸を縦断して花蓮に向かい、台北に戻る予定である。荷造りをして7:20過ぎにホテルを出発した。

 まずは旧站に立ち寄った。旧站は1992年の南廻線開通後に新站が開業してからもしばらく存続していたが、2001年に廃止された。駅構内は出入り自由であったので記念撮影をした。駅前ではおばさん軍団がジャズダンスなのかよくわからない体操にいそしんでいた。

 台東市内を後にし目指したのは知本温泉である。知本温泉は日本統治時代から温泉地として開発されてきた由緒ある温泉である。知本温泉へは台東から省道11号で南へ14kmほど走行しすると、温泉の入り口の石碑が見えてきたので右折し、さらに3kmほど走行して温泉街に到着した。まずは忠義堂公共浴池に立ち寄った。忠義堂公共浴池は地元の人々が利用している温泉である。記念撮影をして中を覗いたが、想像していた露天風呂とは違ったので、他の温泉場を求めることにした。奥へ進む前に、近くにある白玉瀑布に向かった。忠義堂公共浴池から400mほどの坂道を走行し、駐車場から2分ほど歩いて白玉瀑布に到着した。白玉瀑布も日本統治時代から有名な景勝地である。しばしマイナスイオンを浴びながら記念撮影をして、知本温泉の奥のほうへ向かった。

 奥のほうへ2kmほど走行したところに、ガイドブックに掲載されている「知本泓泉大飯店」が見えたので駐車場にバイクを駐車しフロントに向かった。このホテルは温泉浴のみもOKであり、ガイドブックを見ると他に比べて料金も安かったのが選んだ理由であった。フロントで料金を確認すると平日は150元とのことであった。ガイドブックでは200元と記載されていたので、また得した気分になった。温泉プールへ向かい、更衣室で水着に着替えてプールに浸かった。ここでも持参した水着が十二分に役立った。泉質は無色透明であり、温度も40度前後となっていた。朝早い(9:00頃)こともあり、利用していたのは私一人であった。優雅な温泉気分に浸った。

 30分ほど温泉に浸かり体も火照ってきたところで着替えをすると、プールのそばのレストランに案内された。席に座るとアイスティーと釈迦餅がサービスとして振舞われた。昨日釈迦頭を食すことができなかったので、このサービスは嬉しかった。しばらく外のプールを眺めながらリッチな気分でくつろいだ。わずかな時間とはいえこのような優雅に過ごすのは台湾に来てからはじめてであった。30分ほどくつろいだところで次の目的地に向け出発した。途中「農会農特産品展●中心」(●は隹の下に口)にて釈迦頭羊羹(100元)を2箱購入した。このタイプの土産を日本で購入すると1000円ほどするであろうから、結構お徳である。農会(農協)の経営であるからこのような値段設定が可能となったのであろう。空港で購入したら確実に1000円を超えるであろう。

 今日は花蓮まで戻る予定であるが、知本温泉から花蓮へ向かうルートとしては、花東海岸公路(省道11号の一部 以下、海線)と花東縦谷公路(省道9号の一部 以下、山線)の2ルートがあるので、今回は海線を選定した。台湾の東海岸を通ることで南国気分を味わいたかったのが理由であった。省道9号→省道11号乙を経由し海線(省道11号)に入った。まずは小野柳に立ち寄った。小野柳は砂岩が波で浸食された奇岩が連なる風景区である。台湾北部にある野柳にちなんで名づけられたという。駐車場にバイクを駐車し(15元)、海岸線を散策した。豆腐岩・蜂の巣岩・蕈状岩などと名づけられている奇岩怪石を見物した。天気も快晴であり、しばらくボーっとしてしまった。しばし海岸を散策した後た次へ向け出発した。

 海線は東海岸に沿って走っているため、景色は南国ムードたっぷりであった。椰子の木とコバルトブルーの海岸が南国ムードを盛り上げており、思わず記念撮影してしまった。しばらく走行しているとガソリンがなくなってきたので、道路沿いのガソリンスタンドに入った。対応してくれた若い女性2人は、私が日本人だとわかると非常に親しげに対応してくれた。せっかくなので記念撮影を行うことになり、私も含めた3人で記念撮影をした。2人は東海岸に多い原住民族系の顔立ちで美人系であった。もう少し話をしたかったが先を急ぐ旅なので、名残惜しくはあったが次に向け出発した。

 海線をひたすら北上して東河の町を通り過ぎしばらくすると、「東部海岸国家風景区管理処」の施設の案内板を発見したので、海線を左折して中に入場した。駐車場にバイクを駐車し、まずはそばにあるビジターセンターに入った。中には阿美族の生活・文化に関するさまざまな事項が紹介されていた。平日の午前中ということもあり見学者は私一人であった。一通り見学した後外に出た。ビジターセンターからは、敷地の広場内に阿美族に関する住居や祭りのときに使うブランコなどの施設を一望できた。ここは「阿美族民族中心」も併設されているらしい。また、週に何回か阿美族の祭りが行われるらしい。しかし、今日は平日の午前中ということもありひっそりとしていた。ビジターセンターからは青い海を一望することができまたボーとしてしまった。景色を一望した後、ブランコのある広場の方に向かって階段を降りた。

 広場に降り立ち、ブランコや住居などを見て回った。そのとき一軒の建物の中から楽器を奏でているが聞こえてきたのでしばらく立ち止まって聞いていた。このとき若い女性が出てきた。この人もまた阿美族美人であった。英語でいろいろと尋ねてきたので日本から来た旨を話した。すると女性は建物の中に一旦入り、一人の年配の女性を連れて戻ってきた。会釈をすると年配の女性は日本語で「こんにちわ」と挨拶をしてきた。こちらも日本の愛知県から来たこと、バイクで台湾を周遊していることなどを日本語で話した。年配の女性は、子供の頃は日本統治時代で、小学校で日本語を習ったという。また、昔はこの民族中心の近くの山の中で暮らしていたが、現在は町に下りて暮らしているという。台湾に来て久々に日本語で会話したのでこちらもリラックスして話すことができた。また、年配の女性は最初に対応してくれた若い女性と私との間に立ち通訳をしてくれた。しばらく話し込んだ後、3人で記念撮影をして阿美族民族中心を後にした。時刻は13:00を回ろうとしていた。

 続いて向かったのは三仙台であった。三仙台は、三つの島からなる景勝地であり、もとは一つの岬であったものが海水の浸食を受け離島となった。以前は、干潮になると海岸から海底を歩いて三仙台まで渡れたが、現在は太鼓橋を通って島に渡るようになっている。駐車場にバイクを駐車し(15元)海岸線に向かうと、平日だというのにかなりの人々がいるのが見えた。記念撮影をして島へ向かうべく太鼓橋に向かった。太鼓橋は上下の起伏が激しく、しかも橋長も長いため結構疲れた。しかし橋の上から眺める景色も非常によかった。島に到着したが、島の奥まではかなり距離がありそうであったので、しばし島の景色を眺めた後引き返した。太鼓橋を往復したのでかなり疲れてしまった。駐車場に戻り、売店にて椰子の実ジュース(50元)を購入し飲み干した。近くにいた犬も暑さで横になっており、子犬がそばに寄り添っていた。台湾では放し飼いの犬や野良犬が多いようであったが、人間に慣れているせいか、私が通っても特に無関心のようであった。しばらく休憩してから三仙台を後にした。

 次に向かったのは八仙洞であった。八仙洞は、大小10数個の洞窟の総称で、海岸地殻が上昇する過程で海水の浸食を受け現在の洞窟になったとされる。洞窟からは、旧石器時代の人類が住んでいた遺跡も発掘されている。また、洞窟のひとつである「霊岩洞」には「霊巌寺」がある。駐車場にバイクを駐車し(15元)、洞窟を次々と見て回った。最後に霊巌寺にたどり着き記念撮影をした。寺というよりはそのまま洞窟に観音様を祭っている様であり、洞窟と観音様の取り合わせが興味深かった。観音様にお参りをして、八仙洞を後にした。

 花蓮に向け海線を北上していると、北回帰線の標誌が見えてきた。北回帰線を境界として南は熱帯、北は亜熱帯となっている。また、海線における台東県と花蓮県との境界もこの北回帰線付近となっている。いよいよ熱帯を離れることになった。近くにあった標塔にて記念撮影をして熱帯との別れを惜しんだ。花蓮県に入り、引き続き北上すると海岸線の景色もなんとなく出発時とは異なる様になってきた。今日半日で熱帯から亜熱帯まで走りぬいたことになった。さらに北上し、芭崎展望台で休憩した以外はひたすら走り続け、17:30頃に花蓮市内に入った。

 花蓮市内に入ると、もう一安心であった。あとはバイクを返却するだけであったが、朝から釈迦餅以外の食事を取っていなかったので、バイクを返却する前に花蓮で食事をしたいと考え、ガイドブックにあった「陳記状元粥舗」に立ち寄った。店内に入り「滑蛋牛肉粥」(65元)を注文した。店内は落ち着いた感じであり、ずっと走りっぱなしだったのでくつろぐことができた。出てきた粥を味わいながら食したあと店を出て、駅前のレンタカーショップ「小馬租車集団」に向かった。

 「小馬租車集団」に到着し、受付にてバイクのキーを返却した。バイクを置いたところを指差すと、何かいろいろチェックされるのかと思ったが、特に何もチェックされることなく返却手続きが終わってしまった。思いのほかあっさりしていたので拍子抜けしてしまった。花蓮車站に向かい、列車の切符を求めるべく列に並んだ。思いのほか客が多かったので乗車できるか少し心配であったが、一番早く出発・到着する19:00発21:47着の自強号(特急 445元)に乗車することができた。ちなみに花蓮から台北へ向かうバスは見つけることができなかった。台北へはまだまだ鉄道のほうがアクセスが良いらしい。時刻になり月台(ホーム)に入るとたくさんの客が列車を待っていた。到着した台東からやってきた列車は、台東〜花蓮間が非電化ということもありディーゼル車であった。編成が短く、最初は乗車できるのか不安であったが、すぐに増結されたので一安心した。記念撮影をして列車に乗車した。列車は定刻どおり出発した。しばらく隣の女性と会話をした後、車窓も暗かったので眠りに付いた。

 目覚めると列車は定刻どおり松山車站を出発するところであった。台北まで間もなくであった。21:47に定刻どおり台北車站に到着した。駅から外に出ると雨が降っていた。南国らしいスコールであった。しばらく雨宿りをしていたが、止む様子もないので傘を購入し駅前のホテル街に向かった。雨の中何件かホテルを探したが、駅前ということもありなかなか満足する値段のホテルが見つからなかった。また、そこそこの値段のホテルもキャッシュカードが使用できないというところも多かったので困ってしまった。このとき、1泊分の宿代が支払えるほどの手持ちの台湾元がすでになかった。22:30も過ぎたときに尋ねた6軒目で、ようやくキャッシュカードが使うことができ、そこそこの値段のホテルが見つかったので、すかさずこのホテルに決定した。(華美大飯店:1100元) チェックインして荷物を置き、周辺を徘徊したがすでに閉まっている店が大半であったので、セブンイレブンでパスタを購入し、ホテルの部屋で食した。明日は朝も5:00に起床しなければならないこともあり、荷造りをして、シャワーを浴びて23:30頃には就寝した。

(走行距離:212.4km)

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