2008年8月10日(日) 天候 晴のち曇のち雨
朝は6:00過ぎに起床した。朝食を取りに7階のレストランへ上がると、朝食バイキングの準備がなされていた。それにしても私にしては豪華なバイキングであった。思わず欲張っていろいろ皿に盛ってしまった。たらふく食して満腹になったところで部屋に戻り、荷造りをして少しくつろぎ、8:00前にホテルを出発した。今日はホーチミン市内を見物した後、地方へ遠征する予定である。
まず向かったのは統一会堂であった。ホテルから10分ほど歩いて入り口に到着した。敷地はホテルから間もなくのところでたどり着いたのであるが、なにしろ敷地が広いので入り口までが随分遠かった。入り口で1万5千ドンを支払い中に入った。中からフェンスを見て思い出した。ここは旧南ベトナム政府の大統領官邸であったところで、1975年4月のサイゴン陥落の際に、旧北ベトナム軍の戦車がこのフェンスをなぎ倒し官邸に突入した映像が、世界に配信され衝撃を与えたことは有名である。もちろん今は静かなたたずまいである。
建物の中に入り、会議室、応接室などを次々と見て回った。中でも見所は大統領に各国大使が国書を奏上する間であり、きらびやかな装飾が印象的であった。ベトナム戦争中においても、大統領をはじめとする特権階級はこの部屋に代表されるような贅沢な暮らしを謳歌していたということの表れであろう。また、次に見学した大統領夫人の部屋もこれまた贅沢であり、ビリヤード場や映画館まで備えられている。しばしこの贅沢な部屋の数々を見学した後、最上階に昇りレユアン通りを眺めた。かつての大統領もここからレユアン通りを眺めたのであろうが、この通りが南ベトナム消滅の象徴となろうとは想像もしなかったであろう。その後地下まで降りて、当時の米軍の通信施設や、かつての大統領の公用車、来賓をもてなす料理をつくる厨房、旧北ベトナム軍の戦車などを見学して、統一会堂を後にした。
次に向かったのはホーチミン市人民委員会前の広場であった。ここにはホーチミン像があり、人民委員会前の建物とマッチしており記念撮影のポイントである。しつこく付きまとうバイクタクシーを振り払いながら記念撮影をし、レロイ通りをベンタイン市場方面に向かった。付きまとってきたバイクタクシーは、この運転手にいかに親切にされたかを記述した日本人旅行者のメモを見せたり、日本に親戚がいると言ってきたりして何とか気を引こうと必死であった。私は半分程度話を聞いてあげた後、ノーサンキュウと言って立ち去った。次に椰子の実ジュースの売り子がやってきて、1個5ドルと言ってきたので、内心立腹しながらも軽くあしらい立ち去った。しかしこの売り子はしつこく、50千ドンまで値下げしてきたが、あまりにもふざけているのでコカコーラの相場(5千〜6千ドン程度)を言いつけながら怒鳴りつけて追い返した。途中の「サイゴン書店」に入り、道路地図(15万5千ドン)を購入し、ホーチミン像から10分ほどでベンタイン市場に到着した。
ベンタイン市場に入り、いろいろな商店を冷やかしてから、喉が渇いたのでドリンクコーナーで椰子の実ジュースを飲んだ。(1万2千ドン) 先ほどのボッタクリとは大きな違いであった。しばらくくつろいだ後、虫除けを購入しベタム通りに向かった。ここでこれからの予定として考えたのが、ベトナム中部の都市フエに乗り込み、フエを拠点にベトナム中部をツーリングすることであった。ベトナム入国前は、サイゴンからバイクでフエまで乗り込もうと考えたが、ホーチミンからフエまで900km以上あり、私が帰国する前日の8/15(金)までにベトナム中部まで往復して無事に帰ってくる自信がなかったので、フエまでは鉄道で向かおうと考えた次第であった。時刻は午前11:00過ぎであったので、1件のカフェに入りフエ行きの一番早く発着する列車の予約を依頼したが、満席とのことであったので、あきらめて直接列車の出発駅であるサイゴン駅に向かった。サイゴン駅へは、タム通りから5〜6分ほど歩いたところにあるベンタインバスターミナルからのバスで向かうことにした。
ターミナルでサイゴン駅行きの系統をたずねると、149系統との答えが返ってきたので、示されたところで待っていると、149系統のバスがやってきた。バスといっても日本の軽自動車の荷台に座席を設置した簡素なものであった。すかさず乗り込み料金(3千ドン)を支払うとすぐに出発した。出発して10分ほど同乗の乗客と、日本から観光客であると自己紹介し会話をしていると、最寄の停留所?に到着したと乗客に教えられたのでバスを降りた。停留所?らしきところから500mほど案内標識に従い歩くと駅舎が見えてきた。駅舎の中に入り、切符売り場へ向かい、今日の一番早く出発する13:05発(SE6)の切符を頼んだが、すでに満席であるといわれた。仕方がないので次の列車を検索してもらったところ、23:00発(SE4)であれば空きがあるとのことなので、すかさず切符を購入した。なお、私の席は2段ソフトベッドで76万6千ドンであった。
切符も購入し予定も確立したので、駅の荷物預かり所で荷物の一部を預かってもらい(2万ドン)、列車の出発時間まで引き続きホーチミン市内を観光することにした。先ほど降車したところまで戻ったが、バスが来る気配がないので、ボーティサウ通りのバス停でしばらくバスを待った。しかし、来るバスはどれも私が目指すベンタインバスターミナル行きではないので、途方に暮れたしぐさをしていると、一人の女学生が私に声をかけてきた。私は英語で身振り手振り筆談でベンタインバスターミナルに行きたいと言うと、彼女は手助けしてくれると言ってきた。客引きではない普通の市民に手助けを受けたのはベトナムに来て初めてなので、大変有難かった。彼女は私を8月革命通りまで連れてきてくれた。最初はバイクタクシーに乗るように言われたが、私が断ると、バス停の方を指差してあのバス停からであればベンタイン通りに行けると教えてくれた。ベンタインバスターミナルに行く目処が立ったので、彼女と名前の交換をしてお礼を言い分かれた。バス停に座っていると間もなく13系統のバスがやってきたのですかさず乗車した。
ベンタインバスターミナルに到着したとき、時刻は14:30過ぎであった。列車の発車時刻まで時間があるので、市内巡りとして歴史博物館に行くことにした。歴史博物館へは26系統のバスでホーチミン市人文社会科学大学前にて降車して300mほど歩くと到着した。(路線バスは昼間は便数も多く、市内をくまなく網羅しており、基本的に1乗車3千ドン(約18円)なので、少し慣れればタクシーよりも気軽でお得な移動手段です。タクシー等の値段交渉が煩わしい場合はお勧めです。ただし、バス停の社内放送がないので、降車するところの大まかな目処を立てておくか、車掌に降りたいところをあらかじめ伝えておくとよいでしょう。ベンタインターミナルでルートマップも無料配布されているので携帯すると便利です。)
入場料1万5千ドンを支払い中に入ると、いきなりシンボルが現れた。記念撮影をして次に進むと、ベトナムにおける歴史の経緯を紹介していた。古くは旧石器時代からチャンパ王朝(2〜15世紀)→李朝(11〜13世紀)→陳朝(13〜14世紀)→黎朝(15〜18世紀)→西山朝(18世紀)→阮朝(19世紀〜1945年)という流れ(だった思う)でベトナムの歴史が紹介されており、非常に興味深かった。さらに進むと、ホーチミンの胸像に出迎えられた。これは記念撮影としてはずせないのですかさず記念撮影をした。次にチャンパ王朝時代と思われるインドシナ風の仏像を見学し、ある部屋に入るとミイラが陳列されていた。このミイラは19世紀に亡くなった女性のものという。保存状態もよく生きているときの姿が想像することができるようであった。本物のミイラを見たのは初めてであったので非常に興味深かった。その後いろいろな展示物を見学して、歴史博物館を後にした。
歴史博物館に来たときのバス停に戻り、同じ26系統のバスでベンタインバスターミナルに戻ってきた。本当はサイゴン大教会に行きたかったが、乗り過ごしてしまった。しかし1乗車3千ドンなので、再び同じ26系統のバスに乗り、サイゴン大教会最寄のバス停で降車した。しばらく歩くと大教会に到着したので、記念撮影をして中に入った。サイゴン大教会は19世紀に建立されたカトリック教会であり、2本の尖塔が特徴的である。中ではミサが行われており、ステンドグラスと相まって幻想的であった。ベトナムは思いのほかキリスト教徒が多いというのも納得した。大教会の次は隣接する中央郵便局に入った。この郵便局も19世紀のフランス統治時代に建立されたものであり、中のアーチ状の天井が非常に美しい。また、19世紀当時のサイゴンの地図が掲げられており、建立当時からフランス本国とベトナムとの重要な通信拠点となっていたことが伝わってきた。一番奥にはおなじみのホーチミンの肖像画が掲げられていた。記念撮影をしたところで、空腹となってきたので食事をとるべくベンタイン市場方面へと向かった。
ベンタイン方面に向かう途中で、フォーの店「バックハー」に立ち寄った。店に入りフォー(2万5千ドン)を注文した。しばらくすると、フォーが揚げパンと共に来たので、すかさず食した。空腹だったので満足した。フォーのあとは冷たいデザートを食したいと思い、近くにある「ナムユオンアイスバー」に立ち寄った。店の外の席に座りキウイアイス付きかき氷(2万5千ドン)を注文した。出てきたかき氷はボリュウムもあり満足した。体の中から涼しくなったところで再び歩き出した。
パスター通り→レロイ通りを経て、ベンダイン市場に戻ってきた。時間はちょうど18:00を過ぎたところであり、名物の夜市が開店していた。せっかくなのでその中の1軒に入り、コム・チン(ピラフ 1万8千ドン)とコーラ(6千ドン)を注文した。出てきたコム・チンは米も臭みがなくおいしく食した。すっかり満腹になったところで少し夜市を冷やかしてからフォングーラオ通りに向かった。フォングーラオ通りでは、サウナ・ジャグジー(リオ6 入浴のみ50千ドン)に入り、シャワーを浴びてサウナ・ジャグジーにて体の疲れを癒した。今夜は寝台列車に乗車するので、乗車前に一風呂浴びたかったのがわざわざここに来た理由であった。マッサージも勧められたが、特に不要であったのと場合によってはトラブルの元になりかねないので断った。一風呂浴びた後、時間も21:00前になっていたので、通りに止まっていた比較的トラブルの少ない「ビナタクシー」を捕まえてサイゴン駅に向かった。外は雨が降り出していた。
サイゴン駅でタクシーを降り(6万ドン)駅構内に入ると、乗車待ちの客が多数構内にいた。恐らく私と同じ23:00発(SE4)の列車の乗客であろう。私も預けた荷物を受け取り、席を陣取って休憩を取った。しばらくすると一人の男性が声をかけてきた。日本語だったので驚いて振り向くと、あのホーチミン行きの飛行機で隣の席に座っていた男性であった。こちらも驚いたが、相手もまさか私がここにいるとは思わなかったらしく驚いていた。実は飛行機で統一鉄道での移動の話が盛り上がったのだが、まさかお互いが同じ列車に乗り込むとは思わなかった。彼はとりあえずダナンまで行くという。私はフエまでなので、ひとつ手前の都市で降りることになる。また、彼は3段ベッドしか切符が取れなかったという。私が2段ベッドの切符を取れたこと、2段と3段との値段の差を彼と比べたときに行き先こそ違うがあまり日本人の感覚では階差がないこともあり、切符売り場に追加料金で2段ベッドにできないか交渉しに行ったがダメであった。その後22:00も過ぎ、改札が始まったところで売店で飲み物を購入し、彼と別れそれぞれの車両に乗り込んだ。
今回乗車する列車は、ホーチミン(駅名はサイゴン)〜ハノイ間約1726kmを結んでおり、通称「統一鉄道」と呼ばれている。私が乗車する「SE4」は最速の列車で、ホーチミン〜ハノイ間を29時間30分で結んでいる。ちなみに私が乗車するホーチミン〜フエ間は約17時間で結ばれている。私の乗車した車両は2段ベッドの寝台車(9号車)であった。車両は古めかしく、4人1組のコンパートメントの内部もそれなりの古さであったが寝台のシーツは交換されており、私は古めかしさはあまり気にならなかった。私の席は2段ベッドの上段であった。ちなみに下段は切符購入の時にはすでに満席であった(料金は下段より上段のほうが少し安い)。私にとっては、日本の列車も含め寝台列車は初めてであったので、2段ベッドの上段はむしろ寝台列車の雰囲気を味わう分には好都合であった。出発までまだ時間があったので、機関車などを記念撮影したり、売店を冷やかしたりして時間をつぶした。その後、出発時間の合図があったので車両に乗り込んだところで、列車は出発した。私のいるコンパートメントは母子と男性2人、そして私の5人であった。走り出してしばらくするとコンパートメントの照明も暗くなったので、日付の変わる0:00前にはいつの間にか就寝していた。