2008年8月12日(月) 天候 晴

 朝は7:00過ぎに起床した。今日からベトナムツーリング開始である。まずはホテルのレンタルバイクを3日間借りることにした。3日間連続借りたいと言うと、最初はパスポートと引き換えにといわれたが、粘り強く交渉した結果、デポジットにてようやくバイクを借りることができた。1日毎に返却すると行動範囲が限定されてしまうので、デポジットを預けてでも連続してバイクを借りることができて一安心した。こうしてようやくツーリングをスタートした。

 まずは旧市内にてガソリンを補給した。M92ガソリンが1万9千ドン/L(約114円/L)で、日本より少し安いくらいだが、ベトナムの他の物価のことを考えると割高である。(この後どこへ行ってもほぼこの値段であった。)市内を抜け、国道1号に入った。道路は片側2〜3車線の舗装路で、想像よりもしっかりした道路という印象を受けた。ただ道路を横断する人が多く、また車は容赦なく追い越しをしてくるのでひやりとさせられることも多かった。さらに走ると片側1車線となったが、路面は舗装路であり、人も少なくなったので走りやすかった。(相変わらず車の追い越しは容赦なかったが・・・) しばらくすると料金所が現れた。車はブースのレーンに並んでいたが、バイクはバイク用レーンから素通りできた。バイクは田園地帯に入っていった。辺り一面田んぼであった。水牛が所々で草を食んでいたので記念撮影をしていると、ツアーバスが停車して、客が水牛と写真を撮っていた。

 さらにバイクを走らせると、道路は小高い丘を越えた。右手には海が見え大変風光明媚な光景であった。丘を下るとランコー村に到着した。ランコー村は近年リゾート地としても注目を集めているという。このランコー村からハイヴァン峠を上ることになるが、2005年にハイヴァントンネルが開通してからは峠越えの時間が1時間から10分へと短縮されたと言う。しかし、バイクはトンネルに入ることができないので、峠を越える旧道に向けて再びスタートした。

 バイクをひたすら走らせ、20分ほどでハイヴァン峠に到着した。峠にはバスが何台か止まっており、ツアー客が次々と降りてきていた。ここは昔から交通の要所であり、かつては日本軍も砦を構えたことで知られている。峠からは南シナ海とダナン湾の両方の景色を眺めることができた。辺りには牛が徘徊していた。このような峠にまで牛が徘徊しているとは、ベトナムでは牛が非常に身近な存在であることを改めて実感した。峠には現在でもいくつかの砦が残されており、そのうちのひとつの海雲閣で記念撮影した。「ハイヴァン」を漢字で書くと「海(ハイ)雲(ヴァン)」となる。海雲閣はいつ建造されたかわからなかったが、漢字が使用されているところをみると、日本軍が建造したのかなと勝手に想像してしまった。後で写真で調べてみると「明命帝年吉日」と書かれた額が確認されたので、阮朝第二代皇帝ミンマン(明命)帝(在位1820年〜41年)の時代に建立されたのであろう。他にも砲台跡などが残されていたのでいろいろと見て周り、ハイヴァン峠を後にした。

 左手にはダナン湾を望みながら、バイクをダナンへ向けひたすら走らせた。湾にはたくさんの漁船らしき船が停泊していた。しばらくすると「DA NAN」の標識が現れた。いよいよダナンである。国道1号も片側1車線から2〜3車線になった。道路沿いに大きな大仏が見えた。ベトナムは仏教国であることを改めて実感した。フエのときと同様の料金所が現れたが、バイク用レーンでスルーし市内に入った。ハン川までたどり着き、ソンハン橋で記念撮影したあと、次の目的地へ向け出発した。

 向かう目的地はホイアンである。ホイアンへは地方道603号を南に30kmほど走行して到着した。時刻は13:30を過ぎていたので、遅い昼食を取ることにした。ファンチューチン通りにある「Dung」という店に入り、「カオ・ラウ」(ホイアン名物の米麺 2万ドン)を注文した。出てきた麺は汁無し麺で、醤油のようなものをかけて食する。伊勢うどんのようでおいしく食した。食事を終え腹が満たされたので、次の目的地へ向け出発することにした。

 向かったのはホイアン郊外にあるミーソン遺跡である。ホイアンからは地方道608号→国道1号→地方道610号を45kmあまり走行することになる。出発してしばらくして地方道608号ではなく地方道607号を間違えて走っていることに気づき、急ぎ608号に戻った。ベトナムの道路標識は所々に市・町に入ったことを示す案内標識があるくらいで、行先標識はたまに交差点・分岐部などである以外はほとんど見受けられなかった。よってツーリングの際にも交差点・分岐部の標識を見逃さないように慎重に走行しなければならなかった。ホイアンから15kmほど走行すると地方道610号との交差点に「世界遺産 ミーソン遺跡」と書いた(ベトナム語で)案内看板と行先標識が見えたので、右折して引き続き走行した。案内看板にはミーソンまで30kmと書いてあった。ちなみに行先標識には「ホーチミンまで937km」、「ハノイまで782km」と書かれていた。(写真はホイアンに戻る途中で撮影)日本出発前にはホーチミンからフエまでバイクで往復して、なおかつ名所を見て回るなどと考えていたが、この距離を見てその考えは無謀であると実感させられた。「937km」といえば東京IC〜下関ICまでの距離996km(高速道路)に近い距離であり、高速道路で100km/h程度で走行しても11時間以上かかることを考えると、それに近い距離の下道を6日間の日程でミニバイクでホーチミンからフエまで往復し、さらに観光までするというのは無理である。(ひたすら走るだけなら可能かもしれないが・・・) 道を間違えたこともあり、ミーソン遺跡には16:00過ぎに到着した。

 インフォーメーションセンターで入場料(6万ドン)を支払い、橋を渡って遺跡に向かった。10分ほどして遺跡の手前の駐車場に到着し、さらに5〜6分ほど歩くと、遺跡が見えてきた。ミーソン遺跡はチャンパ王国時代のヒンズー寺院遺跡であり、レンガ作りのチャンパ塔など7世紀〜13世紀にかけての遺構が残っており、1999年に世界遺産に指定された。遺跡の多くは長年の風化に加え、アメリカ軍の空爆で破壊が進んでいた。それでもあらゆるところに残るチャンパ彫刻は魅せられるものがあり、またレンガ造りの建造物はセメントや漆喰などが使用されず、またアーチ構造を使わずに尖塔を建造している技術には感心させられるものがあった。せっかくなのでA〜Hまで区分されている建造物のうち、B→C→D→A→G→E→Fまで見学可能なエリアを一通り徘徊した。もとの駐車場に戻る際に、来た道と違う道であったのでたどり着くのか不安になったが何とかたどり着いた。時刻は17:00を過ぎていた。今夜の宿泊地を決めなければならなかったが、ホイアンの街巡りをしたいと考えホイアンに決めた。来た道を今度は逆に地方道610号→国道1号→地方道608号と戻った。途中道沿いの風景を撮影しながら戻ったので、国道1号のダナンにつながるバイパスを通り距離を稼いだが、ホイアンに近づく頃にはすっかり暗くなってしまった。郊外の道路は街灯などないので、前方を走行する車両のテールランプを頼りに走行した。慎重に走行しながら、何とか19:00頃にホイアン市内に到着した。

 ホイアンに到着して早速宿探しをした。ホテルが多く立ち並ぶハイバーチュン通りで1件目が断られたが、一歩入った「BA TRIEU通り」の「NGUYEN PHUONG HOTEL」(10ドル)が1室あいているとのことであったので、すかさずチェックインした。荷物を置いて早速街中へ繰り出した。まずはホイアン名物の「ホワイトローズ」を食すため、ハイバーチュン通りにある店名も「ホワイトローズ」に向かった。店に到着して早速ホワイトローズ(2万5千ドン)を注文した。ホワイトローズは、海老のスリ身を薄い米皮に包み蒸し上げたものであり、盛り付けが白いバラのように見えることから名付けられた。ちなみにホイアン中のホワイトローズはこの店1件で作られているという。出てきたホワイトローズをたれに付けおいしく食した。ホワイトローズのあとは揚げワンタン(4万5千ドン)も注文し、1人で食すにはボリュームが多かったがおいしく食した。これで昼食も含めるとホイアンの三大料理(カオ・ラウ、ホワイトローズ、揚げワンタン)をすべて制覇した。

 続いてレロイ通りを南に向かって徘徊した。夜の市街地もやわらかい明かりに灯されて良い雰囲気であった。それにしてもここでも欧米人の旅行者が目立った。どうして欧米人がアジアにこうたくさん居るのか不思議である。続いてまたカオ・ラウを食したくなったので、カオ・ラウで有名なチャンフー通りにある「チュンバック」に入り注文した。出てきたカオ・ラウ(1万2千ドン)は昼間食したものとはまた違う趣であったがおいしく食した。食後も町並みを見ながらグエンタイホック通りやバクダン通りなどを徘徊した。トゥボン川の両岸の建物の明かりが川面に映る様は非常に幻想的であった。しばらく徘徊した後ホテルに戻り、0:00前に就寝した。

(走行距離:231.5km)

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