2008年8月15日(金) 天候 晴

 朝は6:00過ぎに起床した。今日はフエ周辺を巡り、ホーチミンまで戻る日である。ホーチミンに戻るにあたっては、フエからの便が予約できなかったので、ダナンからの便に乗ることになっていた。よって、フエ周辺ができるのは午前中であった。よって、今日もバイクをレンタルし(6ドル)、7:00前にホテルを出発した。

 まず向かったのは王宮であった。王宮は阮朝初代皇帝のザーロン(嘉隆)帝により1805年に建造された。ベトナム戦争前までは王宮には多くの建物が残っていたが、フエがベトナム戦争におけるテト攻勢(1968年)で激戦地となり、多くの建物が破壊されてしまった。1993年に世界遺産に登録され、現在は少しずつ建物が復元されている。ホテルから程近いチャンチエン橋を渡り、王宮門前に到着した。王宮門前と対面にあるフラッグタワー前にて記念撮影をした。駐輪場でバイクを置いて(5千ドン)、入場料5万5千ドンを支払い早速王宮の中に入った。王宮門をくぐりまずは太和殿を見学した。ここは皇帝が鎮座していた玉座があり、皇帝の威厳が示されていた。次に右廡(官吏の詰所、右廡が武官用、左廡が文官用)に向かった。ここは現在は王朝ゆかりの品々があり、皇帝の着衣や宝物などが陳列されていた。また、当時の王宮の様子を撮影した写真などが展示されていた。特に当時の皇帝を撮影した写真に興味が魅かれた。20世紀半ばまで「皇帝」というものが存在しており、しかも写真として刻銘に残されているのには驚いた。次に左廡に入ると、皇帝の衣装を着て記念撮影をしていた。次に延寿宮に向かった。王宮内はかなり広く、左廡から4、5百mは歩いたのですっかり汗だくになってしまった。延寿宮は初代皇帝のザーロン(嘉隆)帝の母親の住居として建造され、ベトナム戦争で破壊されたがその後再建された。中に入ると当時の豪華な椅子・テーブルなどの調度品が置かれており、皇帝一族の豪華な生活様式を現在に伝えていた。大和殿から少し離れていることもあり、見学者は私一人であった。次に向かったのは世祖廟であった。世祖廟には13代の皇帝のうちザーロン(嘉隆)帝をはじめとする10人の皇帝の位牌が祀られている。第5代ズクドゥック(育徳)帝および第6代ヒエップホア(協和)帝は廃位、第13代バオダイ(保大)帝は退位して帝国が消滅したため祀られていないとのことである。世祖廟を振り返ると賢臨閣が見えた。顕臨閣は阮朝の菩提寺であり、庭には9つの鼎が置かれている。それぞれの鼎は、ベトナムの風景などが浮き彫りされている。最後に午門の上に昇りフエ市街を皇帝気分で眺めた後、次の目的地へ向かった。

 次の目的地へ向かう前に銀行に立ち寄ってから、第4代皇帝トゥドゥック(嗣徳)帝廟に向かった。廟までは地方道7号を8kmほど走行して到着した。トゥドゥック帝廟は1864年から1867年までの3年を費やして建造された。入場料5万5千ドンを支払い中に入った。入口の門をくぐると蓮が密生した池があり、池にせり出した建物で記念撮影をした。次に階段を上ると拝殿が現れ、拝殿を通り過ぎると役人や象を模った石造が左右に並ぶ通りを経て石碑が現れた。石碑の碑文は漢字であり、ベトナムも中華文化圏であることを改めて実感した。内容は恐らくトゥドゥック帝を称える碑文が刻まれているのであろう。さらに奥に進むとようやく皇帝の墓にたどり着いた。この廟は皇帝が生前別荘として使用していたとのことなので、これほどまでに広いのであろう。墓の前で記念撮影をして次の目的地へ向かった。

 地方道7号を南へ下ると、「ザーロン帝廟4km」の標識が目に付いた。本来ならばミンマン帝等の有名どころに向かうものであるが、天邪鬼の私としては初代皇帝の廟にぜひ向かいたいという好奇心が沸いてきたので、ザーロン帝廟に向かうと決め、標識に従いさらに南へ向かった。道路は未舗装路に変わり穴だらけでありなかなか距離が稼げなかった。20分ほど走行していると道路は行き止まりになった。近くに橋らしきものもないので辺りを見ると渡し舟があった。渡し舟のおばさんが私に、ザーロン帝廟は川の向こう側にあり、渡し舟で渡らなければならないと言ってきた。料金は往復5ドルだと言ってきた。高いんじゃないかと文句を言っていた時に、地元の客が乗ってきて6万ドンを支払ったので、6万ドンではないのかと言うとあっさりと6万ドンになった。交渉も成立しバイクごと渡し舟に載せ対岸に渡った。対岸に渡った後同乗したじいさんがザーロン帝廟まで案内すると言ってきた。当然ガイド料をせびってくるとは予想されたが、道に迷って時間を浪費するよりかは良いかと思いじいさんを後ろに乗せ出発した。未舗装路の荒れた道を10分あまり走行するとザーロン帝廟が見えてきた。ここは他の皇帝の廟と異なり、自然の地形を生かして建造されている。辺りは修復中であった。しかしながら初代皇帝にふさわしい壮大な造りを目の当たりにすることができ感慨ひとしおであった。もちろん観光客は私一人であった。廟を堪能した後来た道を戻った。じいさんがガイド料5万ドンを請求してきたので腹が立って怒鳴りつけてやった。しかし案内させたのは事実であるので、5千ドンだけ投げつけて渡し舟に乗りもと来た岸に戻った。来た道を戻り、ザーロン帝廟の標識に戻ってきた。時刻は12:00を回ろうとしていた。

 13:30発のダナン行きのバスに乗車するためには、13:00過ぎには市街に戻らなければならなかった。残り時間を考慮したとき、あと1箇所見学することが出来ると考え、第2代皇帝ミンマン(明命)帝廟に向かった。地方道7号からフォーン川に架かる橋を渡り5〜6分ほどで到着した。駐車場で1万5千ドンを支払い、さらに入り口で5万5千ドンを支払い中に入った。ミンマン帝廟は1840年から1843年にかけて建造された廟である。ミンマン帝廟も思ったより広く、崇恩殿にたどり着く頃には相当へばってしまった。しかしながら崇恩殿から眺めるはす池の眺めが大変優雅であり、しばし休息した。崇恩殿のきらびやかな内装を見学し、記念撮影を行った後、時間も気になってきたので廟を出た。廟を出たところで脱水症状になりかけたので、売店でコーラを飲んだ。同席したアメリカからのバックパッカーは、フエ周辺巡り4日目とのことであり、旧DMZ(非武装地帯)にも行ったという。アメリカ人は我々日本人が思う以上にベトナム戦争時代に興味があるらしい。私が今日ホーチミンに戻ると言ったところ、彼はサイゴンと言い直してきた。やはりアメリカ人にとっては今でも「ホーチミン」ではなく「サイゴン」なのであろう。時間が迫ってきたので旅の健闘を祈りつつこの場を後にした。

 バスの時間を気にしながらひたすらフエ市街を目指しバイクを走らせた。燃料切れが少し気になったが、何とか市街地にたどり着いた。13:00丁度だったので、最後に市街で記念撮影をしてホテルに戻ってきた。バイクを返却すると、フロントの女性が水を持ってきてくれた。バスのチケットを見せるとバスがホテル前に迎えに来てくれるというので、しばらくフロントで待つことにした。しかし時刻を過ぎてもバスが来ないので、フロントの女性に電話してもらうと、バスはここには来ないという。あわててタクシーでシンカフェ前まで行った。時刻は14:00になろうとしていた。少し事情を話し口論にもなったが、バスは私の出発を待っていたようだったので、少し後味が悪い思いもしたが、これでダナンまで行けると安心した。程なくしてバスは出発した。

 バスは3列の2階建てベット席となっていた。内装も新しく乗り心地は良かった。午前中は炎天下の中の名所巡りですっかりバテていたので、ついうとうととしてしまった。バスは国道1号をひたすらダナンへ向け走り続けた。1時間少し時間が経過したところでハイヴァントンネルに差し掛かった。ハイヴァン峠は列車とバイクでこれまで3回超えてきたので、今回で4回目であった。今回はトンネルを通過であった。バスはトンネルをひたすら走り続け、10分ほどでトンネルを抜けた。峠を1時間ほどかけて上り下りしたのが嘘のようにあっさりしていた。さらに1時間近く走行した16:40頃にダナンに到着した。

 ダナンでバスを降り、市内を少し見物することにした。一昨日は夜に到着したので市内の様子が良くわからなかったが、昼間見ると街の活気が改めて伝わってきた。ダナン大聖堂を見学し、アイスティー(2200ドン)を飲んで街の雰囲気を感じた後、タクシーを捕まえるため街中を歩いた。10分ほど歩いたがなかなか捕まらなかったので少しあせった。時刻は17:30を過ぎていた。飛行機の出発時間が19:00であるので、あと1時間少しであった。その後必死でタクシーを求め徘徊したところ、偶然にもビナタクシーが捕まったので、すかさず値段交渉をして、2万ドンで空港まで向かった。空港に到着したのは18:00過ぎであった。何とか飛行機に間に合ったので一安心した。チェックインを済まし、空港ロビーと駐車場の反対側のレストランでフォー(2万5千ドン)を食した。今日は朝から何も食していなかったので素早く食してしまった。その後待合室で写真整理などして過ごし、時間となったので飛行機に搭乗した。飛行機(ベトナム航空 VN327)は定刻どおり19:00にホーチミンへ向け出発した。

 飛行機は定刻どおり20:50頃にホーチミンはタンソンニャット国際空港に到着した。飛行機を降り国内線ロビーにあるタクシーチケット販売所に向かった。しかしながら販売所の女性にチケットは販売しないと言われた。仕方がないのでチケット無しでタクシー乗り場に行き、値段交渉したがかなり怪しく、しかも交渉中もメーターを回していたので信用できなくなり、捨て台詞を吐いてタクシーを下車した。次に国際線ロビーに行った。ロビーに入ろうとすると案内の女性に声をかけられたので、タクシーチケットを購入したい旨を伝えると、ロビーまで案内してくれた。チケット販売所に行くと、そこには国内線のチケット販売所の女性がいた。何やら文句を言っているそぶりであったが、私も引き下がるわけには行かないので、「チケットでタクシーに乗らないとぼられるんだ」ということを強調して怒鳴りつけてやった。彼女は渋々ながらチケットを私に渡した。(8ドル) もし案内の女性がいなかったらどうなっていたのだろうかという思いをめぐらせながら、案内の女性にお礼を言いタクシーに乗車してホーチミン市内に向かった。タクシーに20分ほど乗車し、22:00頃デタム通りで下車した。チケットで乗車したので追加料金等の請求もなく、安心して乗車できた。(ベトナムで空港からタクシーを利用するのであれば、チケットを購入することをお勧めします。2008年8月現在の相場は恐らく8ドルくらいであろうと思われます。法外な請求などされることなく安心して乗車できると思われます。)

 デタム通りを歩き、今夜のホテルとしてアンアン2(20ドル)にチェックインした。私がチェックインした直後に欧米人がチェックインしようとしていたが、満室で断られていた。間一髪であった。荷物を置いて付近を徘徊した。付近は欧米人のバックパッカーが数多く徘徊していた。バインミー(ベトナム風サンドイッチ 1万ドン)を購入し、しばらく街の雰囲気を味わい、コンビニでペットボトル(7千ドン×2本)を購入してホテルに戻り、0:00頃に就寝した。

(走行距離:61.4km)

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