2008年9月21日(日) 天候 晴

 朝は6時前に起床した。列車は丁度6時に高雄に到着した。列車を降り、乗車した列車を記念撮影をして駅前に出た。早速バイクをレンタルしようと思い街中に繰り出そうとしたところ、旧高雄駅舎の道路を挟んだ向かい側にレンタルバイクショップ(春天旅遊汽車機車出租)を発見した。台北ではあれほど探し回っても無かったレンタルバイクショップが、台湾第二の都市でこうもあっさりと見つけてしまうとは、喜びと共に何ともいえない気分となった。しかもそのレンタルショップは朝6時代というのにすでに営業していた。朝からレンタルすれば朝早く出発でき、かなり遠方までバイクで周遊できると思いすかさずそのレンタルバイクショップへ駆け込んだ。値段交渉をしたところ125ccのスクーターで1日で500元とのことであったが、明日(9/22)の夜7時にここに戻ってくるということで、1.5日換算で750元で契約した。こうしていともあっさりとレンタルを完了して、台北駅前のショップを7時過ぎに出発した。

 駅前の建國二路から省道1号を東に走りはじめた。朝早かったので比較的走りやすかった。それなりにバイクの数は多かったが、5月にも台湾をバイクツーリングしているのでそれほど気にはならなかった。8時頃に屏東に到着した。最初の目的地として三地門を選んだ。省道1号から省道24号に入り、さらにひたすら走り続けて9時前に到着した。ここでの目的は「台湾原住民文化園区」を見学することであった。「台湾原住民文化園区」は台湾の原住民族の生活様式等を集めたテーマパーク的な所であり、さまざまな厳重民族の風習が一度に見学することができる。三地門の街中から坂を上り台湾原住民文化園区の駐車場に到着した。

 バイクを止め、入場料(80元)を支払い中に入った。たしかガイドブックでは150元とあったので、値下げしたのかな?というお得な気分になった。(なぜ値下げしたのかは後でわかることになるのだが・・・) 入り口のゲートをくぐり、原住民陳列館を通り過ぎるとバス停があったのでバスを待つことにした。しばらくするとバスがやってきたのですかさず乗車した。私の乗車したバスにはたくさんの高校生?らしき学生が乗り込んできた。満車になったところでバスが出発した。2〜3分ほどでタマルワン(塔瑪麓湾)エリアに到着した。バスはここで折り返すという。不思議に思いながらもバスを降りた。 このエリアには台湾中のさまざまな原住民の家屋等が展示されていた。家々を見学し吊橋にたどり着いたときにバスが折り返した理由が判明した。次のエリアに向かう道路が土砂崩れで不通となっていたのだ。入場料が半額となっている理由もようやく判明した。入り口にその旨のお知らせがあったのかもしれなかったがあまり目に付くようなところに貼っていなかったので気づかなかった。残念がっても仕方が無いので、一旦原住民陳列館に戻った。

 原住民陳列館前では、ちょうど竹筒で空砲を放つ準備がなされていた。5分ほど待っていると準備が完了し、原住民の?歌が演奏されたあと、導火線に火がつけられ轟音とともに空砲が次々と打ち放たれた。空砲の打ち上げが終わったのち、原住民陳列館に入りさまざまな原住民の衣装・生活道具などを見て回った。原住民の研究は日本統治時代に始めて学術的に行われ、現在までに10部族程度に分類されている。見学後、バス停に行き、先ほど行ったタマルワン(塔瑪麓湾)エリアに再び向かった。到着すると丁度広場で原住民の衣装を着た男女が踊りを披露していた。最初にバスに乗ったときに同乗していた高校生?らしかった。衣装は台湾の全ての原住民を網羅していた。ただヤミ族の男性の衣装はふんどしだったので心なしか恥ずかしそうであった。しばらくして踊りが終了したので、台湾原住民文化園区を11時頃に後にした。

 次に向かったのは多納であった。多納へは三地門から県道185号を北に向かって走ることになる。ひたすら北へ向かって走り続けたところ、「大津瀑布」という標識が見えたので立ち寄ることにした。バイクツーリングはこのように興味の沸いたところに、気ままに立ち寄ることが出来るのが魅力である。地方道から標識に従い右折し、目の前にあった駐車場にバイクを止めた。駐車場前には寺があり、その脇が大津瀑布へ向かう道につながっていた。水着を着た子供とすれ違ったので、すぐ近くにあると思い急ぎ足で大津瀑布に向かった。ところが行けども行けどもなかなか瀑布にたどり着かなかった。それどころか道は上り坂の階段が続き、暑さのせいもあってかなりへばってきた。ふと景色を見ると駐車場が随分下のほうに眺められた。えらいところに来てしまったと思いながらも今更引き返すこともばかばかしいので、もう少し上っていくことにした。そうこうしているうちに上り始めてから15分ほどでようやく滝の音が聞こえてきたので急ぎ歩を進め、茂みの中にある大津瀑布にようやくたどり着いた。大津瀑布は木陰に囲まれた風光明媚な滝である。老若男女が水着姿などでせせらぎに入ったり、マイナスイオンを浴びていたりした。私もタオルを水に浸ししばし涼んだ。当然ながら回りは地元?と思われる台湾人ばかりであった。たまにはガイドブックに載っていない名所でゆっくりするのも悪くは無いと思った。しばらく滝を眺めた後急ぎ足で10分ほどで麓の駐車場に降りて、12時20分頃に大津瀑布を後にした。

 県道185号をさらに北上し、省道27号と合流して郷道 高132号(茂林林道)に入った。山道をひたすら走行し13時過ぎに多納温泉に到着した。バイクを停め温泉のある川(温泉渓)沿いまで行くと、湯船が見えてきたのでさらに歩み寄った。特に着替える場所などなさそうだったので素早く水着に着替え、早速湯船に浸かった。温泉と思って入るとお湯ではなく水であった。気温が高いのでまだ入ることが出来たが、お湯にのんびりと浸かろうという状況ではなかった。台風による増水のせいではないかと勝手に想像してしまった。それでも川沿いの景色がよかったのでしばらくくつろいだ。そうこうしているうちに、今日は朝食抜きであり空腹となってきたので遅い昼食を取ることにした。服に着替えて温泉から程近い「多納温泉餐飯部」に入った。ここは生簀の魚をさばいて出すようであったが、丸々1尾は量が多いと思いちまき(60元)を注文した。出てきたちまきは素朴でうまく、空腹だったこともありすばやく食した。食後バイクに戻り、多納の集落に向かった。坂を上り到着した集落には、石を積み重ねた家があちこちに見られた。多納は台湾原住民であるルカイ族の集落であり、時々通り過ぎる人々も漢族と異なり南方系であった。集落はとても静かであり日本人の私としてはのんびりとして穏やかなひと時に感じられた。しばらく集落を徘徊した後、来た道を戻ることにした。

 郷道 高132号を引き返す途中で、渓谷(濁口渓)に架かる吊橋を見つけたので立ち寄ることにした。橋までは道から少し上ったところまで行かなければならなかった。たどり着くと観光客が思いのほか多く、橋にも多くの観光客が載っていたので少し不安であった。橋の真ん中まで渡り下を見ると、渓谷や来た道などがはるか眼下にあり足がすくむ思いであった。多納吊橋は1997年(民国86年)に完成した、全長232m・渓谷からの高さ103mの人道橋である。しばらく景色を眺めた後多納吊橋を後にした。

 時間も15:00を過ぎていたので、今夜の宿泊地を決めることにした。先ほどの多納温泉はお湯でなく水であったので、温かい温泉に入りたいと思い、四重渓温泉に向かうことにした。四重渓温泉までたどり着けば、次の日に台湾最南端にたどり着くのも楽であるということも選定理由であった。郷道 高132号→県道185号→省道27号をひたすら走行し、16:00過ぎに屏東に到着し駅前で記念撮影したあと、省道1号に入り再び走り出した。さらに走り続け、枋寮を通り過ぎると右手に台湾海峡が見えてきた。時刻も17:00を過ぎた頃であったので夕日を見ながら海岸沿いを走行することになった。やがて楓港にたどり着いた。ここは省道1号の終点であり、省道9号と省道26号の起点である。省道9号へ行けば台東、省道26号へ行けば台湾最南端にたどり着く。今回は四重渓温泉や台湾最南端へ向かう予定なので省道26号に向かった。機会があれば南回りで台東に行ってみたいものである。さらに走り続けると日もすっかり暮れてしまい少し不安になったところでようやく車城の街に到着した。ここまで来れば四重渓温泉まですぐであった。省道26号から県道199号に入り程なくして四重渓温泉に到着した。

 四重渓温泉は日本統治時代から有名な台湾南部の小さな温泉街である。街中に入り今夜の宿を探した。温泉街ということもありあまり安い宿が見当たらなかった。今夜は温泉でゆっくり優雅にくつろぎたいという思いもあり、少し奮発することにした。ガイドブックに載っていたホテルの中で比較的安く雰囲気も良さそうな「清泉温泉山荘」に宿泊することにした。(1泊2100元) 私にとっては台湾に来て以来一番高いホテルであったが、前日は夜行列車で1泊したこともあり、1日くらいはゆっくりとしたかったので、即決でチェックインした。部屋に荷物を置いて街中に繰り出した。街は思ったより小さく歩いても十分に回ることが出来た。1件の食堂(新興)に入った。炒飯・スープ・豆腐炒め(各50元 計150元)を注文した。出てきた料理は思ったより量が多く、全て平らげる頃にはすっかり満腹になった。食後温泉に入るためホテルに戻った。

 ホテルに戻り、早速温泉に入ることにした。ここのホテルの温泉は他の多くの台湾の温泉と同様、水着で入ることになっている。温度の異なるいくつもの温泉があり、はしごをして温泉を堪能した。ここ「清泉温泉山荘」は日本統治時代からある由緒あるホテルであり、戦前には高松宮夫妻も宿泊したこともあるという。温泉入浴後、高松宮夫妻が入ったという浴室を見に行った。湯船に浸かりたかったが残念ながら入ることが出来なかったので写真撮影だけして部屋に戻った。その後ホテルの中庭で優雅にくつろいだあと、22時過ぎに眠くなってきたので部屋に戻り就寝した。

 

(走行距離:240。3km)

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