2009年4月30日(木) 天候 晴

 今朝は7:30頃に起床した。今日はジャカルタ市内を見物した後、夜行列車で次の目的地へ移動することにした。まずはホテルで朝食を取り、昨日の疲れもありしばらくくつろいだ後、10:00頃にホテルを出発した。まずは近くの旅行会社(PT.ROBERTUR KENCANA)に出向き、今夜出発する列車のチケットを取得した。行先はジョグジャカルタである。ジョグジャカルタは、あの有名な世界遺産であるボロブドゥール寺院やプランバナン寺院をはじめとする文化遺産の玄関口として有名である。旅行会社の店舗に入り、片言の英語で何とかジョグジャカルタ行きの夜行列車(230千ルピー)の席を押さえることが出来た。ジャカルタ・ガンビア駅20:00発であるので、列車で一泊すれば効率よくジョグジャカルタに到着できる。チケットは15:00頃にもう一度旅行会社に取りに来ることになった。

 夜行列車に乗車するまで9時間ばかり時間が出来たので、ジャカルタの主要箇所を回ることにした。まずは国立博物館に向かうため、トランスジャカルタの停留所があるサリナデパート方面(SARINAH停留所)に向かった。トランスジャカルタはジャカルタのバス交通システムであり、バスは道路の中央部に設置された専用レーンを走るため、ジャカルタ名物の交通渋滞に巻き込まれずに移動することが出来る。バス停留所は中央分離帯にあるため、歩道橋を渡って停留所に向かった。停留所入り口にはチケット販売所があり、チケット(3.5千ルピー)を購入して自動改札機を通して底流所内に入った。しばらくするとバスがやって来たが、すでにすし詰め状態だったので乗車拒否された。どうやら乗客数を制限しているらしかった。またしばらくすると再びバスがやって来たので、今度は無理やり乗車した。多分空いてるバスを待っていても待ちぼうけを食らうだけだと思ったからだ。

 バスは「MONUMEN NATIONAL停留所」に到着したので降車した。停留所の目の前が目指す国立博物館であった。ちなみに国立博物館の道路を挟んだ反対側が独立記念塔の広場であった。早速国立博物館に行き、入場料(750ルピー)を払って中に入った。その直後に突然スコールが襲ってきた。直前に屋内に入ることが出来ラッキーであった。中の展示物はインドネシアの遺跡の発掘物が展示されていたり、インドネシアの各島(西はスマトラ島から東はニューギニア島まで網羅)の歴史・文化が紹介されていたり盛りだくさんであった。雨宿りを兼ねてゆっくりと見て回った。外を見ると雨が止んでいたので、チケットを取りに行くべく国立博物館を出た。時刻は14:00を過ぎていた。 

 トランスジャカルタでサリナデパート前まで戻り、途中デパート内を見物して旅行会社に行き、今夜の夜行列車のチケットを入手した。チケットを見ると、ジャカルタ・ガンビル駅を20:00発はよいが、ジョグジャカルタ着が翌3:14になっていた。インドネシアのよく分からない駅に夜明け前に放り出されると思うとブルーになったが、まあ仕方ないと思い気を取り直して、再びジャカルタ観光に向かった。

 ジャカルタはインドネシアの首都で人口1100万人を擁する大都市であるが、観光都市ではないので見所は多くない。多くない見所で次に選んだのは独立記念塔(モナス)であった。モナスへは先ほど向かった国立博物館とまったく同じルートで向かうことになる。再びトランスジャカルタに乗車し、「MONUMEN NATIONAL」で下車した。入り口に向かうべくモナス前の広場の周りを柵に沿って歩いたが、なかなか入り口が見えない。ひたすら歩いて10分ほどしてようやく入り口を見つけた。入り口くらい複数の箇所に設けてほしいものである。入り口からはモナスが遠くに見えた。そばに白バイの警官がたむろしていたのでどれくらい歩くのか聞くとさらに10分ほど歩くという。かなりの広さである。警官に記念撮影だけしてもらい再び歩き出した。5分ほどしてモナスのそばにたどり着いたが、入り口が私のいるところの反対側ということでさらに5分ほど歩く羽目になった。

 ようやく入り口を見つけ、入場料5千ルピーを支払い中に入った。台座の部分は博物館になっており、さまざまな展示物が陳列されたいたが、国立博物館を見学したこともあり、ほぼ素通りで塔の展望台に向かった。展望台まではエレベーターで昇ることになる。独立記念塔(モナス)は1946年のインドネシア独立を記念して、1975年に完成した高さ137mの塔である。塔の上には35kgの純金の炎のレリーフが取り付けられている。高さ110mの展望台からは、ジャカルタ市内を一望することが出来た。しばらく眺めを堪能した後地上へ降りた。エレベーターを降りると、一人のインドネシア人が「独立の広間を見せてやる」と日本語で言って寄ってきた。この塔の中であるということなので付いて行った。中は薄暗かったが、この独立の広間にはスカルノ大統領が読み上げた独立宣言文が納められているという。しばらく見物していると「国章のバッチを買わないか?」と言ってきた。これが本来の目的であろう。私は無視して独立の広間を出た。外に出て塔の台座のところで夕涼みをしていると、いつの間にか17:00の知らせが響き、警備員に追い出された。あと2時間もすれば列車に乗ることになるので丁度いい時間であった。

 塔を出て広場前に停車していたトレインバスに乗車し出口へ向かった。出口からトランスジャカルタ停留所までしばらく歩き、「BALAI KOTA停留所」からバスに乗り込んだ。3.5千ルピーという値段は旅行者の足として使うに当たっては非常に経済的である。途中JUANDA駅に立ち寄り、行きたかった食堂を探したが見つからなかったので、再びトランスジャカルタに乗り込みガンビル駅に向かった。ガンビル駅には19:20過ぎに到着した。

 朝食以来何も食していなかったので、駅前の食堂に入り、ナシ・ゴレン(8千ルピー)とオレンジジュース(8千ルピー)を頼み食した。駅構内に入ると発券窓口に多数の人が並んでいた。あらかじめ切符を入手していてつくづく良かったと思った。改札を通り3階のプラットホームに上がった。プラットホームにも大勢の人が列車を待っていた。向かいのホームには元日本の車両が頻繁に到着していた。行先表示などが日本で走行していたときのままなので奇妙な感じであった。予定の時刻(20:00)になっても列車が来なかった。東南アジアの鉄道は送れることを前提で乗車しなければならないことを改めて実感した。まあ翌朝の到着が遅れれば夜明け前にジョグジャカルタ駅で待つ時間が短縮されて良いかなとも思った。

 予定より20分遅れで列車がホームに到着した。私が乗る列車は「ARGO LAWU号」(特急列車)であった。席はEksekutif(エグゼクティブ)であり、日本の特急列車と遜色ない座り心地であった。インドネシアの鉄道は国鉄から1991年の公社化を経て1999年にPT.KAI(インドネシア鉄道会社)へと移管された。経営は上下分離方式で、国がインフラを所有し、その上を鉄道会社が列車を走らせるというシステムらしい。列車は定刻より30分遅れの20:30にガンビル駅を出発した。出発してしばらくして箱とミネラルウォーターが配られた。箱を開けるとパンが2個入っていた。キャビンアテンダント?が車内を歩き希望者にメニューを渡していた。有料の食事サービスらしかった。私は駅前で食事をしていたので頼まなかった。そうこうしているうちに車内も暗くなったので、歩き回った疲れもあり、22:00頃には就寝していた。

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