2009年5月1日(金) 天候 晴

 今朝は5:00頃に起床した。列車はまだジョグジャカルタには到着していなかった。この時間であれば駅で朝が来るのを待つ時間が少なくてすむと思った。列車はしばらく経過した5:20頃にジョグジャカルタ・トゥグ駅に到着した。東の空が明るくなってきていた。それなりの規模の都市だけあって私も含めかなりの人が列車を降りた。駅はオランダ植民地時代の名残であろうか、ホーム全体が屋根に覆われていて欧風の造りである。ホームのベンチで少し休むことにした。それにしても早朝から多くの人々が駅構内にいた。5:00過ぎとあればもっと閑散としているのを想像していたので意外であった。東南アジアはどこの国でも朝の活動時間が早いことを改めて実感した。日が昇り明るくなったら市街に行き宿を確保することにしたので、それまでにこれからの計画を立てることにした。

 時刻も7:00を迎える頃には日も昇り市内を歩いても安全だろうと思われたので、今夜の宿を探しに行くことにした。駅の改札を出ると、早速タクシーやバイクタクシーなどの勧誘の嵐に遭遇した。どうして東南アジアは皆このように同じなのだろうと思わされた。駅を出てすぐにある踏切を渡ると、ジョグジャカルタ中心部のマリオボロ通りである。マリオボロ通りからソスロウィジャヤン通りに入り、何件か目星をつけていた宿を探したが満足いくものではなかったので、さらに通りを歩いていると、おっさんが近づいてきて宿を斡旋してきた。昨日はシャワーを浴びることが出来なかったこともありホットシャワー付きの部屋を探している旨を言うと、通りから奥に入った1件のホテル(メラピホテル)に案内された。値段のほうを聞くと、エコノミー(ホットシャワー・ファン付)が120千ルピーということであったので、この宿に決定した。欧米人をはじめとする外国人も何組か宿泊していたので安全だろうと思われた。部屋に入り荷物を置いて、シャワーを浴びてしばらく休憩した。

 しばらく休憩して体力も回復したところで、早速市内を見て回ることにした。まずはクラトン(王宮)に向かった。王宮へはマリオボロ通りを南へ1km余り歩くことになる。通りの両側はありとあらゆる商店が軒を連ねていて大層な賑わいであった。特に服飾関係の店が多く感じられた。通りは馬車やベチャ(自転車タクシー)が走り回っていた。ベトナムでも自転車タクシーはなくなりつつある中、馬車やベチャがいまだに現役の交通機関として活躍しているのには感心してしまった。20分位してようやくクラトンに到着した。

 入場料と写真撮影代(12500+1000ルピー)を支払い中に入った。

 

 

 

 

中には王宮を護衛する衛兵?らしき人たちがあちこちにいた。クラトンは、1755年にマタラム王朝により建造された王宮で、今も王宮の一角には王家の子孫が住んでいるらしい。踊りの広間や執務室、さまざまな展示物を見て回った

 

 

 

 

 

 

。建物の外に出ると、王宮に仕えている?女性が供物を持って列をなして歩いていた。王族への供物であろうか? ここには今でも王族がいることを改めて実感した。

 

 

 

 

 

 

 

 クラトン見学の後、続いてタマンサリに向かった。タマンサリはクラトンから西へ15分ほどのところにある。クラトンを出る際に男に声をかけられ、タマンサリに案内すると申し出てきた。無視して歩いていても勝手に案内してくるのでさせたいようにした。(当然金など払うつもりはない) 

 

 

民家の路地を通り、鳥市場のようなところを抜け、到着したのは廃墟のような遺跡であった。ここは本当にタマンサリなのかと聞くとそうだという。廃墟の天辺に上り記念撮影していると、数百m先にガイドブックで見たタマンサリらしき建物が見えたような気がした。すぐに廃墟の下に降りてタマンサリに向かうことにした。ちなみに廃墟でモデルが撮影をしていた。タマンサリへは地下道を通ることなる。地下道への階段を降り、薄暗い地下道を数百m歩いた。

 しばらくすると突き当りに到着し、地上に上がり、タマンサリの入り口で入場料と写真撮影代(7000+1000ルピー)を支払い中に入った。まずは門の上に昇り上から眺めた街並みの写真を撮った後、メインの水浴び場へ向かった。タマンサリは、1757年に当時ジョグジャカルタを支配していたマタラム王朝のスルタンにより建設された離宮である。

 

 

 

 

離宮の中央にある水浴び場に王宮に仕える女性を水浴びをさせ、それをスルタンが建物の中から覗いて、気にいった女性と夜を共にしたという。この日は水浴び場はあまり水を張っていなかったため、眺めはいまいちだったが、綺麗な水が張っていれば見ごたえがあるだろう。しばらく見学した後、タマンサリを後にした。

 時刻も12:30を過ぎていたので、昼食を取ることにした。来た道を戻り、宿の近くにあるレストラン(Bintang Resto)に入った。レモンジュースとCapcaySeafood(7000+18000=25000ルピー)を注文した。出てきた料理は一人には多かったが、空腹であったので完食した。その後宿に戻り少し休憩してから、明日の動きに向けソスロウィジャヤン通りにあるツアー会社数社を渡り歩いた。渡り歩き調査した結果、今朝方おっさんに勧められた「SOSRO TOUR&TRAEL」のボロブドゥール&ブランバナン巡りの日帰りツアーが最も安かった(朝食付き70千ルピー、入場料別(ボロブドゥール100千ルピー、ブランバナン100千ルピー))のでこのツアーに参加することにした。

 後はレンタルバイクショップを探すべくJL.PasarKembangに向かった。何件かレンタルバイクらしくバイクを置いている店が並んでいたので、その中の1件に入り、連続してバイクをレンタルできるか尋ねたところOKの返事が返ってきた。どこに行くのかと聞かれたので、試しにスラバヤと答えると、とてもバイクでは行けない、バスにしろと言う。確かにインドネシアで「300km近くをバイクで移動する」というのはかなりきついと思ったので、そう言うのも納得した。何とかバイクをレンタルできるということを確認したので、マリオボロ通りのマタハリデパートに入り、地図を購入した。(JAWA TENGAH州とJAWA TIMUR州で17500ルピー×2=35000ルピー) ちなみに私が入った書店では、地図の種別は都市部詳細を表したものと州全体を表したものしかなく、いわゆる日本で言うところの道路地図は確認できなかった。地図を購入した後再び宿に戻り、ツーリングルートを計画した。

 時刻も夕方になり空腹となったので、夕食を食すべく街中に繰り出した。まずはソスロウィジャヤン通りの比較的賑わっていた屋台に入り、やきそば(8000ルピー)を食した。くせもなくおいしく食した。引き続きマリオボロ通りにある屋台街を徘徊した。ガルーダホテルの前の通りは夜になると屋台街となる。かなり多くの屋台が出店しており、選ぶほうとしては目移りしてしまう。何件か回ったが呼び込みのおばちゃんの威勢のよさにつられ1件の屋台に入った。チキンと紅茶(13000+2000ルピー)を注文すると、近くにいた女性から声をかけられた。東京から来た日本人であった。

 女性の席に移り、旅の情報交換をした。女性はバリ島経由でジャワ島に来て、前日はボロブドゥール近くのホテルから日の出ツアーに参加したという。その後ジョグジャカルタに移動してマタハリデパート近くのホテルに3泊するという。ちなみに女性はご主人が都合が悪くなり止む無くひとりで来たという。ジョグジャカルタにこれから3泊してどう過ごそうか迷っているようであった。私はいろいろ周る所もありますよと答え、さらにレンタルバイクも借りられることも話した(さすがに女性一人ではレンタルバイクは借りないと思ったが・・・:) さらに韓国・台湾・ベトナムもバイクで周ったことを話すと珍しがっていた。いろいろ話し込んでいるうちに時刻も22:00になるところであったので、女性と別れ宿に戻り、シャワーを浴びて就寝した。

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