2009年5月2日(土) 天候 晴

 今朝は4:30頃に起床した。今日は昨日申し込んだツアーの車が5:00にホテルの前に迎えに来るということでこのような時間の起床となった。ホテルをチェックアウトし(今日は他のホテルに泊まるつもりなので)、時間になるまでロビーの椅子に座っていると、同じホテルの欧米人カップルがロビーに下りてきた。どうやら私と同じツアーに参加するらしい。時間となったのでソスロウィジャヤン通りに出て、近くのコンビニ前に腰掛けたが一向に車が来なかった。待ち続けること20分くらいしてようやくツアー車がやってきた。11人乗り(運転手除く)のワゴン車であった。ソスロウィジャヤン通りでは私と欧米人カップルと韓国人旅行者の計4人が乗り込んだが、車の中はガイドを含めすでに7人が乗車しており、車の中はすし詰め状態であった。車は25分遅れの5:25頃に出発した。

 車は早朝のジョグジャを走りぬけひたすら飛ばしていた。東南アジアの車のマナーはどこも同じようであり、我先に前の車を追い越すのが普通のようであった。その甲斐もあり6:00にはボロブドゥール寺院に到着した。チケットはツアー代に入っているので、そのまま入り口を通過し遺跡へと向かった。早朝ということもあり観光客もまばらであった。入り口からしばらく歩くとようやく寺院が見えてきた。まだ数百m離れていたが、規模が大きいため寺院を確認することが出来た。もうしばらく歩いてようやく遺跡のそばにたどり着いた。

 ボロブドゥール寺院は、ジャワ島で繁栄したシャイレーンドラ王朝のダルマトゥンガ王の時代の780年頃から建造が開始され、サマラトゥンガ王のときに増築され833年には現在の規模となっている。その後、大乗仏教の衰退と共に忘れ去られジャングルの中に埋もれていたが、1814年にイギリス人のトーマス・ラッフルズ(ジャワ総督代理)により発見され、崩落の危険性があるため埋め戻されたが、1907年から1911年にかけオランダ政府により復元工事が行われた。1980年代には日本も技術協力して遺跡の整備が行われ、1991年に世界遺産に登録された。

 

 

 

 

  早速遺跡の階段を昇り、最上部のストゥーパにたどり着いた。最上部から眺める景色は朝もやが少しかかっていて幻想的であった。観光客もまばらであったのでゆっくりと見物することが出来た。最上部のストゥーパを見学した後は、階段を降りながら回廊のレリーフをくまなく見て周った。

 

 

 

 レリーフは仏陀の誕生から悟りを開くまでを表現している。全部で9層からなる寺院を見て周るのはかなり時間がかかった。何しろ最下部は1辺115mというから相当な距離を歩くことになる。最下層に降りてきた頃には時刻も8:00前になっていた。遺跡内にあるレストランで8:15分集合し朝食を取るというスケジュールなので、レストランへ向かうため寺院を後にした。

 レストランに予定通り8:15分に到着し、レストランのテーブルに着席した。私のテーブルには欧米人カップルと韓国人旅行者がすでに座っていた。私は韓国人旅行者(Kさん)と話をした。彼も英語は片言であり私とレベルが似ていたので話しやすかった。私が韓国にバイクを持ち込んでツーリングした話や、日本人があまり訪れない地方都市を訪れた話などをすると、興味を持って聞いていた。

 食事の後、ムンドゥッ寺院に立ち寄った。(入場料3千ルピー) 寺院は建物1つであり、ボロブドゥール寺院と比べると随分小さく感じたが、寺院の中にある仏像がやわらかい表情であり好印象であった。また、外壁のレリーフもなかなか見事なものであった。ムンドゥッ寺院を後にして、お決まり?の銀細工の土産物屋に立ち寄った。(ちなみに現皇后陛下がこの店に立ち寄られた写真が飾っていた) その後、一旦ジョグジャカルタに戻ってきた。次に行くブランバナン寺院がジョグジャカルタを挟みボロブドゥール寺院と反対側にあるためであった。

ジョクジャでボロブドゥール寺院のみ見学の一人を降ろした後、ブランパナン寺院に向け車は出発した。ブランバナン寺院はボロブドゥール寺院より近く、30分くらい走った11:30頃に到着した。ここも入場料はツアー代に含まれているので、そのまま入り口を通過し遺跡へと向かった。

 プラバナン寺院は、仏教系のシャイレーンドラ王朝と同時期に繁栄した、ヒンドゥー教系の古マタラム王朝のバリトゥン王により10世紀初めに建立された。その後地震による倒壊で忘れ去られていたが、20世紀に入り修復作業が行われ、1991年にボロブドゥール寺院と同時に世界遺産に登録された。プランバナン寺院はインドネシア最大のヒンドゥー教遺跡である。入り口から10分くらい歩きようやく遺跡の前にたどり着いた。

 

 

 

 

 

 

 

私がたどり着いたのは、プラバナン寺院(正式にはプラバナン寺院群)の中で最大のロロ・ジョングラン寺院であった。そばにたどり着いて改めて塔の規模の大きさに驚かされた。ヒンドゥー寺院らしくシバ神?らしい緻密なレリーフなどが見所である。また、塔の中には聖なる動物である牛の像が置かれているものもあった。しかしながら2006年5月27日に発生したジャワ島地震により倒壊している塔もあり、修復中のものもかなりあり、早い復旧が望まれる。遺跡内を練り歩き時間となったところで、車の待つ集合場所へ戻ることにした。ちなみに遺跡内の出口から集合場所まではぐるりと大回りさせられるため、20分近く歩かされることになった。13:00に集合場所に戻り、ジョグジャへ向け車は発進した。

 14:00過ぎにジョグジャはソスロウィジャヤン通りに帰ってきた。韓国人旅行者のKさんにガルーダホテルでルームシェアしないかと誘われたが、シェアしても一人当たり600千ルピーするとのことなのでお断りした。車を降り、まずは、ジョグジャからジャカルタへ向かう飛行機の席を確保するため、PASAR KEMBANG通りにある「IDOPAS Tour&Trael」に入り、帰国前日の5/6の便を検索したところ、18:45発のライオン航空の便があるとのことなので、すかさず席を確保した。(36USドル) 日本の飛行機代のことを考えると、区間最安値ではなかったかもしれないが随分と安いなと感じた。これで帰国日前日まで中部ジャワに滞在できることになった。

 帰りの足を確保したところで、次に駅へ向かった。目的はINDOTELで今夜の宿を確保するためであった。ここで予約すると直接ホテルで交渉するよりも安くなるとガイドブックにも掲載されていた。INDOTELの案内所は駅構内にあるため、駅員に事情を話し改札を通してもらった。案内所のドアには鍵がかかっており、中を覗きこんだが誰もいなかったので、ドアの張り紙に掲載されていた電話番号に電話をすると、しばらくして係員がやってきた。電話で片言の英語で話したのだが何とか通じたようだった。さっそく案内所に入り、中でリストを見せてもらった。リストの中から、ソスロウィジャヤン通りから一歩入った「ホテル グロリア アマンダ」を選んだ。繁華街のマリオボロ通りに近いソスロウィジャヤン通りのホテルを選びたかったのと、300千ルピーで朝食・プール付きというのが気に入ったからであった。早速部屋を確保してもらい、予約確認書を発行してもらった。手続きが完了してホテルに向かった。

 ホテルのフロントで予約確認書を見せて料金を支払い部屋に案内された。このホテルは実を言うと昨日宿泊したホテルのすぐ近くであった。INDOTELを通したので、料金も2割ほど安くなっていた。部屋に荷物を置いて早速涼を求めるためプールに向かった。この時間は誰もプールに入っていなかったので、30分以上一人でプールを独占した。すっかり堪能して部屋に戻り、しばらく休憩した後街へ繰り出した。

 今夜の食事はジョグジャ名物の「ナシグドゥッグ」にした。ナシグドゥッグは、ご飯とジャックフルーツ・卵・豆・野菜などをココナッツのソースで煮たものをかけて食べるジョグジャの名物料理である。屋台でも食すことが出来るが、クラトンの東側にあるWIJILAN通りに「ナシグドゥッグ」の店が並んでいるとのことなので、店で食すべくWIJILAN通りに向かった。2kmほど歩いてようやくWIJILAN通りに到着して、入る店を探した。しばらく歩いて疲れてきたので、比較的客入りがよさそうな「GUDEG WIJILAN」に入った。店ではあま言葉が通じなかったので、店の入り口で乗せる具材を指差して注文した。出てきた料理はボリュームがたっぷりであった。ナシグドゥッグ+レモンテイー=24000+4000=28千ルピー) ナシグドゥッグは少し甘みがありおいしく食した。また、サービスのスナックも食したのですっかり満腹になった。満腹となったところで店を出てホテルに戻ることにした。

 途中クラトン前の広場でヤマハのバイクイベントが行われていたので少し覗いてみた。インドネシアでも他の東南アジア諸国と同じくカブタイプの小型バイクが主流であるため、展示しているバイクもカブタイプのものがほとんどであったが、中には中型バイクも展示されていたので、少しずつレジャーのバイクが浸透しつつあるのかなと勝手に思ってしまった。またステージではロックコンサートが行われており、この国がイスラム教徒が多い国とは思えないほどの盛り上がりであった。しばらく会場を徘徊した後、マリオボロ通りの建造物を眺めながらホテルに戻り、次の日からのツーリングに備え23:00頃には就寝した。

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