2009年5月5日(火) 天候 晴のち曇のち雨

 今朝は5:00頃に目が覚めた。昨日はホテルに着いてすぐに寝てしまったこともあったが、モスクから拡声器で大音量のコーランが流れてきたのが早朝に目覚めた原因であった。ここはインドネシアであることを改めて実感させられた。朝食の時間もまだなので、寝付けないこともあって本日のルートを模索した。そうこうしているうちに朝日が昇ってきたので、窓越しにサンビン(SAMBING)山に上る朝日を眺めながら過ごした。7:30の朝食の時間となったので、一階のレストランへ降りた。私のほかに居たのは欧米人のカップル・グループとインドネシア人の旅行者数名であった。欧米人はどこにでもいるものだなあと感心してしまった。日本人と比べて格段に旅行慣れしている。ただ、私のようにバイクをレンタルしてインドネシアの一地方をツーリングしている欧米人はさすがに見なかった。朝食はバイキング形式だったので、今日もたらふく食してしまった。恐らく今日ツーリングするところでは食事にありつけないと思ったからであった。

 朝食も終えたところで、満腹となっていたのでホテルの中庭でしばしくつろいだ。今日の目的地はディエン高原の寺院群を周ることにしたので、ウォノソボでもう一泊することにした。無理すればディエン高原を周った後にジョグジャまで戻ることが出来るかもしれないが、余裕を持ってツーリングしたいのと、熱帯では午後にスコールに遭遇する恐れが高いので午後にはツーリングを切り上げたかったのが理由であった。それにウォノソボという街がどのような街なのかを見物したいというのも理由にあった。(昨日はすぐに就寝してしまったので・・・) ツーリングに必要な最低限の荷物だけをウェストバックにつめ込み、あとの荷物は部屋に残して出発することにした。時刻は9:00前であった。

 フロントで連泊したい旨を伝え、同じ部屋を確保たところで早速バイクを走らせた。まずは昨日来た道を少し戻りガソリンを補給し、ディエン高原方面への道に入った。行先標識で確認すると、ウォノソボ市街からディエン高原まで26kmであった。ツーリングの距離としては短い。しばらくは市街地を走行したが、ウォノソボは思ったより大きな街に思えた。(昨日は夜に到着したので気づかなかったが・・・) 市街地を抜け道は次第に上りになってきた。標高がどんどん上がって行くのが景色から感じ取れた。周りの景色は険しい山々となったが、その山々の頂上付近まで段々畑となっていた。このような険しい山を段々畑にしていったインドネシアの人々の努力に感心させられた。道路は舗装路で順調に走ることが出来たが、途中には崖崩れのため仮橋が架けられているところもあり、ディエン高原への道の険しさを実感させられた。仮橋のそばで復旧作業をしていた人たちと記念撮影などをして先に進んだ。

 いくつかの集落を通り過ぎ、さらにバイクを走らせていると、ようやくディエン高原を示すゲートが現れた。実際の距離以上に遠く感じられた。しかしながら、この「はるばるバイクでやって来た」感に浸ることが出来るのがバイクツーリングの魅力である。もうしばらくバイクを走らせ、下り道を降りたところに、ディエン高原の観光案内の看板と、標高を示す標識があった。ミニバスなども停車していたので、この辺りがディエンの街(街と呼ぶには規模が小さいが・・・)の中心部らしかった。標識には海抜2093mと記されていた。時刻は10:30を過ぎていた。

 今回ディエン高原を訪れたのは、ディエン高原には7〜8世紀ごろに建立されたインドネシアでも最古級と言われているヒンドゥー教寺院群が点在しており、遺跡マニア?の私としてはツーリングも兼ねて行ってみたいという思いに駆られてのことであった。まず向かったのがアルジェナ寺院であった。海抜の標識から少し走ったところでアルジュナ遺跡の行先標識を見つけたので左に曲がり、事務所の駐車場に到着した。駐車場の入り口で係員に呼び止められ、入場券を購入した。(アルジュナ寺院+シキダン地熱地帯=20千ルピー) 駐車場にバイクを止めると、草原の中に寺院群が見えた。

 

 

 

 

早速寺院のそばに行き記念撮影をした。祠の一つ一つはこじんまりとしているが、レリーフなどが当時の文化を思い起こさせた。周りはインドネシア人?の観光客が2〜3人ほどいるだけで、非常に静かであった。次に向かったのはビマ寺院であった。ビマ寺院はアルジュナ寺院からバイクで4〜5分ほどのところにあった。祠が1基だけのこじんまりとした寺院であったが、アルジュナ寺院よりもレリーフがよく保存されていて見ごたえがあった。駐車場にいた兄ちゃんの「駐車場代」よこせというのを無視して次に向かった。

 次に向かったのはシキダン地熱地帯であった。ビマ寺院の手前の道を右方向へ向かうと、ゲートが現れた。ここで先ほど購入した入場券の半券をちぎってもらい、先に進んだ。しばらく走ると硫黄のにおいがしだいに濃くなってきた。駐車場が現れたのでバイクを停め、早速地熱地帯に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

地熱地帯には草木一本生えていなくて、周りの山々とは対照的であった。以前東北ツーリングで訪れた恐山を思い出した。正に地獄絵図という表現が適切であった。さらに噴煙のそばに近づくと、泥水がぼこぼこと泡を立てており、硫黄のにおいが非常にきつかった。このような危険なところであるが、頼りない柵があるだけで、足を滑らせて落ちてしまう恐れが非常に大きい。落ちたら即死であろう。しかしこのゆるさがインドネシアらしいところである。逆に言えば、日本のように過保護でなく自己責任で観光しなさいということかもしれない。(都合よく言えば・・・) しばらく噴煙を眺めた後次の目的地に向かった。

 次に向かったのはワルナ湖であった。ワルナ湖は緑色の湖面が特徴の火山湖である。入場料3千ルピーを支払い湖に向かった。ビジターセンターを通り過ぎ、左に曲がると緑色の湖面が見えてきた。さらに先に進むとうっそうとした森となり、森を抜けると湖がすぐそばに迫ってきた。辺りは硫黄のにおいが立ち込めており、改めて火山湖であることを実感した。ここで折り返してビジターセンター前まで戻り、次に右側の道をしばらく歩いた。黄金色の像を通り過ぎるとセマル洞窟が見えてきた。セマル洞窟はかつて当時のスハルト大統領が瞑想のため使用したといわれている。洞窟を見学後バイクに戻り、次の目的地へ向かった。

 次にシカリムの滝に向かうことにした。シクニル山方面に向かう道をひたすら走ったが、なかなかたどり着かなかった。途中の集落で道を尋ねたが、よくわからないという様子だったので、さらに走り続けた。道も細くなり不安になってきたが、とうとう道は行き止まりになってしまった。行き止まりの地には集落があり、ジャワの田舎の雰囲気を漂わしていた。道行く人たちも、バイクでやってきた外国人の私を珍しそうに眺めていた。天気も下り坂で、シカリムの滝にはたどり着けそうもなかったので諦めて来た道を戻ることにした。

 

 

 来た道を戻り、ガトウカチャ遺跡に立ち寄った。寺院を見学したあと、そばにある博物館に入った。博物館にはディエン高原で発掘されたヒンドゥー教の神々の像やレリーフなどが展示されていた。都会の博物館と異なり展示物のそばまで近寄れるので、じっくり見学することが出来た。この高原にはこのようなものがごろごろ転がっているのかと感心させられた。神々の像と共に多かったのが、牛の像と男性のシンボルの像であった。

 

 

 

 

 

どちらもヒンドゥー教の重要な崇拝の対象であるが、この像が造られた時代にはすでに崇拝の対象になっていたのであろう。博物館内を一通り周って、バイクに戻った。時刻は14:00を過ぎていた。

 天気のほうが一段と怪しくなってきたので、今日はウォノソボに戻ることにした。沿道の羊の放牧などを眺めながらディエン高原を出発した。途中の段々畑・モスクなどを通り過ぎて行ったが、途中でとうとうスコールに遭遇してしまった。急いで雨合羽を着込み、あとはひたすら走り続け、何とかSURYA ASIA HOTELにたどり着いた。部屋に入り濡れた服を着替え一息入れた。時刻は16:00を過ぎていた。部屋でしばらく雨が止むのを待ちながら、明日の計画を考えた。

 18:30も過ぎ、外の雨も止んだようだったので、街中へ繰り出すことにした。ウォノソボはこじんまりとしているが、思ったより賑わっている街であった。バイクで中心部を周回し、スーパーマーケットでドリンクを購入したあと、夕食を食すためレストランを探すべくバイクで街を流していると、AHMAD YANI通りから一歩入ったところに屋台が並んでいるのを見つけた。そのうちの1軒の屋台が「BEBEK GOREN」という文字を掲げていた。BEBEK=アヒルなので、アヒル料理を出す屋台だと分かった。屋台をその「BEBEK GOREN」を掲げている店(PAK EDY)に決め中に入り、BEBEK GORENとレモンティー(12000+6000=18000ルピー)を注文した。出てきたアヒルはあめ色に焼きあがっていた。隣の客はご飯を手で食していたが、私には外国人ということでナイフとフォークが付いていた。しかしアヒルを食すのはフォークでは面倒なので、手洗い用のボウルも付いてきたこともあり手で食した。思いのほかうまかったので得した気分になった。食後に調理場などを撮影させてもらい、店を後にした。

 店を出た後、ホテルで軽く食すべくAHMAD YANI通りの屋台を眺めていると、ムルタバ(MARTABAK)の屋台を見つけた。女の子とお父さんの親子でやっている屋台であった。ムルタバがうまそうに見えたので1個購入した。(8000ルピー) 一人分としては大きかった。記念撮影などをしてホテルに戻り、しばらく寛いでから22:00過ぎには就寝した。

(走行距離:79.7km) 

TOPへ

5/4へ

5/6へ