2009年12月27日(日) 天候 晴時々曇

 朝は7:00前に起床した。前日は飛行機で起きたり眠ったりの状態だったので、長旅の疲れは思ったより感じなかった。今日は8:00にレンタルショップへ行く予定であるので、素早く準備をしてホテルの朝食を食した。外はまだ暗く、ヨーロッパの夜の長さを改めて実感した。すばやく食事を終え、フロントにタクシーを呼んでもらうよう依頼した。チェックアウトしてしばらくするとタクシーが到着したので、レンタルショップの地図をタクシーの運転手に見せると、カーナビを操作して場所を特定したらしく、了解したとのゼスチャーを示してきたので一安心した。タクシーはホテルのそばの高速道路A2→M40を通り、5kp出口で高速道路を降りて住宅街に到着した。この付近が私が示した住所付近だということで、あとは何とかなるだろうと思い降車した。降りた目の前の家の扉が開き、オーナーらしき人が出てきたので、自分の名前を名乗ると、そのオーナーがレンタルショップのオーナーのホセさんだった。タクシーが停車したところがレンタルショップのそばで助かった。

 ホセさんの案内でガレージに行き、今回レンタルするバイクの紹介を受けた。私がレンタルするのはホンダ トランザルプ650で、カウル・パニアケースなどが付いており、長距離ツーリングに適したバイクであった。バイクの説明のあと、パニアケースに荷物を積み替え、書類手続き等やスペインの交通ルール(右側通行であること以外は日本とほとんど同じ)などの説明を受けた。ホセさんは少し日本語が話せたので、意思疎通も思ったよりうまくいき助かった。時刻も9:00過ぎになり周りも明るくなったので出発することにした。ガレージを出ると丁度奥さんが家に戻ってきたところだった。ちなみに奥さんは日本人であり、日本語で意思疎通が出来たので助かった。ホセさんが日本語を少し話せる理由が分かった。

 走り出しということで、ガソリンスタンドまでホセさんが車で同行することになった。M40の5番出口前のガソリンスタンドでガソリンを給油した。スペインではガソリンはほとんどセルフサービスで、給油後レジまで行って料金を支払うシステムである。ちなみにガソリンは「95」で1.1ユーロ/L程度(ツーリング時点で1ユーロ=130〜140円)であり、この後も多少の差はあったが似たような値段であった。日本より少し高いくらいである。また、ガソリンスタンドの売店はいろいろな商品をそろえており、いわばコンビニのような感じである。私は道路地図を購入したかったのだが、そのスタンドでは希望のものが無かったので、ホセさんに次の出口まで付き合ってもらい、そこでミシュランの道路地図(20ユーロ)を購入した。スペインの田舎まで制覇するには、詳細な道路地図が必要と思い奮発した。地図も購入したので、M40に乗りホセさんと別れ走り出した。

 高速道路M40を時計回りに走り、スペインの南を目指しジャンクションでA4に乗り換えた。スペインの高速道路は一部を除き無料なので、今回のように高速移動を必要とするツーリングには大変有難かった。ひたすら南下してまず向かったのはトレドであった。ひたすら走り続け、11:00前にはトレドに到着した。トレドは、1561年にマドリードに遷都されるまで首都であった都市で、町全体が中世の趣を残しており、1986年に世界遺産に登録されている。まずはビサグラ門で記念撮影をして、アルカサルに向けてバイクを走らせた。アルカサル付近はトレドの丘の上であり、タホ川を初めとする周辺の景色が一望できた。しばらく景色を眺めた後、今度は市街を巡ることにした。ソコドベール広場から市街を練り歩いたが、古い建物にテナントなどが入っており、単なる古い街ではなく生きている街であることを実感した。しばらく歩くとカテドラル(大聖堂)に到着した。トレドのカテドラルは1493年に完成したフランス・ゴシック様式の大聖堂であり、トレドのシンボルである。時計の門から中に入り、荘厳な内部にしばし見とれてしまった。もう少し居たかったが、次のスケジュールに支障が生じるので、名残惜しくはあったがカテドラルを後にした。外に出てカテドラルの正門?の免罪の門などや市庁舎などを見学し、バイクを駐車した場所に戻った。この場所からもタベーラ病院などが一望できた。典型的な中世ヨーロッパの街並みであった。このような街並みを眺めるのは初めてであった。しばし景色を眺めた後、トレドを後にした。

 トレドを出発して、途中トレド駅などに立ち寄ったが、入り口は開閉式のゲートとなっており、バイクが気軽に入れる状態ではなかったので早々に退散した。遠方にトレドの街を眺めながら、高速道路のCM42に乗り再び南下を始めた。目指したのはコンスエグラであった。トレドからは60kmほどであるが、高速道路での移動なので、20分ほどで最寄の53kp出口に到着した。ちなみに、スペインの高速道路の出入り口番号は、kpの数値で表されているので、どれくらい走ったのかの目星をつけることが出来る。すでに遠方にはコンスエグラの代名詞である風車群が確認できた。CM42から2kmほど走り街に到着した。街中の案内標識は小さいため見落としやすく、少し迷ってしまった。ようやく風車のある方向の道を見つけて、丘の上にある風車前に到着した。

 

 

 

 

 

 

冬のラ・マンチャの荒涼とした風景と11基の風車とのコントラストが、スペインらしさをかもし出していてしばらく見入ってしまった。風車のひとつに入ることが出来たので、中を見学した。冬はオフシーズンなのかほとんど人がおらず、外国人らしき観光客は私一人のようだった。しばらく風景を眺めた後、時刻も14:30を過ぎたのでコンスエグラをあとにした。

 再び高速道路に乗り南下を始めた。59kp入り口からCM42に乗り、ジャンクションでA4・E5に乗りひたすら南下を続けた。出発から230km走行してガソリンの量が心配となったので、道路沿いのガソリンスタンドにて給油した。単独での初給油であったが、セルフサービスで給油後に代金(クレジットカード可)を支払うシステムなので何とかなった。スタンドは「REPSOL」系列のものがこの後もよく見受けられた。REPSOLはスペインの石油企業であり、南ヨーロッパや南米などではメジャーな石油企業であるという。日本でもMOTOGPのチームスポンサーのひとつとしてよく知られている。併設されているバル(英語名:バー 軽食もできる居酒屋のようなもの)に入りたかったが、まだまだ南下しなければならなかったので、スタンドを後にした。

 再びA4・E5の南下を続けたが、241kpを過ぎた辺りから約14kmについては高速道路が建設中のため、線形の悪いカーブが続いた。しかしながら西日の当たる渓谷の眺めが非常によかったので、しばし休憩してしまった。再び走り出すと、高速道路の橋梁の建設現場を遠くに眺めることが出来た。橋脚は50〜60mほどあろうと思われたが、その割には少し華奢に見えた。地震のないヨーロッパならではであろうか。(ポルトガルは2・300年前に大きな地震に遭遇した歴史があるようだが・・・) 257kp付近から再び高速道路となり、292kpでA44に乗り換え、すぐにA32に乗り換え、さらにN322をひた走り、17:30頃にウベダに到着した。

 ひたすら南下を続けたのは、ウベダに立ち寄るためであった。ウベダは隣のバエサと共に、2003年に世界遺産に登録された街で、ルネッサンス様式の建造物が有名である。サンディアゴ病院や周辺の街並みを見て回った。そうしているうちに18:00が過ぎたので、今夜の最終目的地に向かって出発した。

 向かうはアンダルシアの代表的な都市であるコルトバであった。コルトバへはN322→A32→A44経由でA4・E5に戻りひたすら走り続けた。この辺りでは高速道路はコルトバに向かって西方面である。辺りも暗くなり、どの付近を走っているのかも見当が付かないまま、案内標識の「コルトバ ○○(○○はkm)」のみを頼りに走り続けた。出発したときにはコルトバまで100km以上あったが、ガソリン給油以外はひたすら走り続け、何とか20:30頃にコルトバに入った。

 コルトバに入ったのはよいが、初めての街でしかも夜のため、目指すメスキータ付近までなかなかたどり着けなかった。歩いていた人などに道を尋ねながら、何とかグアダルキビル川沿いまでたどり着いた。道を尋ねるために、Campo Madre de Dios通り沿いにあったホテル入った。フロントの人曰く、メスキータまでは先は一方通行であったり、道が入り組んでいるという。ここまで来れば徒歩でも何とかメスキータにたどり着けると考え、今晩はこのホテル(HOTEL AVERROES)に宿泊することにした。(駐車料金込で54ユーロ) 

 荷物を置いて、街中を徘徊することにした。夜のコルトバの街は意外と早く、店などはすでに閉まっていたりして静寂な雰囲気に包まれていた。街並みは中世の趣を残しており、夜の静寂さと合わせて幻想的であった。サン・ペドロ寺院やコレデーラ広場などを少し徘徊し、空腹であったので通りがかりのバルで軽食を取り、疲れていたのでホテルに戻り、0:00前には就寝した。

(走行距離:542.7km)

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