2009年12月29日(火) 天候 雨のち晴

 朝は6:00に起床した。早起きしたのは、アルハンブラ宮殿を見学するためであった。早起きの理由は、アルハンブラ宮殿自体は8:30からの入場(11月〜2月、2009年12月現在)であるが、アルハンブラ宮殿内で最も見所のあるナスル朝宮殿は入場制限があるとのことなので、用心のため極力早く並ぶ必要があると考えたからであった。ホスタルを出て7:00発のバス(アルハンブラバス 1.2ユーロ)に乗り、15分ほどで宮殿前に到着した。

 チケット売り場へ行くと、まだ夜明け前にもかかわらず、すでに50人ほどが列を成していた。すかさず列に並びひたすら待つことにした。寒さはそれほど感じなかったが、小雨の降る中待ち続けるのは少しつらかった。時間が経つにつれ行列が次第に伸びてきて、最終的には150〜200人くらいになっていた。(と思う) 8:00になり、チケット販売が開始された。最初は心配であったが、私の番が回ってきて、何とかチケットを購入(12ユーロ)することが出来た。ちなみに、アルハンブラ宮殿のナスル朝宮殿については入場制限があり、私が入場できる時間は9:30となっていた。空も明るくなってきた8:30に開門されたので、早速中に入った。 

 アルハンブラ宮殿は、イベリア半島のイスラム教国であったグラナダ王国のナスル朝初代国王アル・アフマールにより、もともとあった砦の中に宮殿の建造が開始され、14世紀頃に完成したという。1984年と1994年に世界遺産に登録されている。入場門から中に入り、石橋を渡って城壁の中に入った。中は緑の生い茂った豊かな庭であった。サンタ・マリア教会を横切るとカルロス5世宮殿が現れた。

 

 

 

 

 メインのナスル朝宮殿への入場が9:30なので、まずはカルロス5世宮殿から見学することにした。このカルロス5世宮殿は、16世紀にスペインのカルロス5世が、グラナダをスペインの新しい都にすべく、アルハンブラ宮殿内に建造されたものであるが、現代人から見ればイスラム建築を台無しにしたという意見が多く、あまり評判のよろしくない建物である。それでも、16世紀のヨーロッパの建築様式などが伺えるので、ある意味興味深い建物である。宮殿内の博物館なども合わせて見学して、ぶどう酒の門の前に向かった。

 

 

 

 

 

 時刻は9:10を回っていた。入場まで少し時間があるので、城壁から見えるアルバイシン地区などを眺めて時間を過ごした。アルバイシン地区はイスラム教の面影を残す街並みで有名であり、今でも多くの白い壁の家々が立ち並ぶ。そうこうしているうちに時間となったので、すでに出来ていた列に並び、ナスル朝宮殿へと向かった。まず入ったのがメスアール宮であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次にメスアールの中庭を経由して、あの有名なアラヤネスの中庭にたどり着いた。広く紹介されているあの水面に映るコマレス宮はやはり一見の価値がある。コマレス宮を過ぎると、これもまた有名なライオンの中庭にたどり着いたのだが、生憎ライオンの噴水が修復中であり、実物を見ることが出来なかったのが非常に残念であった。その後、アベンセラッセスの間、二姉妹の間、リンダラハのバルコニー、諸王の間などを次々に制覇し、すっかり満足したところでナスル朝宮殿を後にした。

 

ナスル朝宮殿見学の後は、貴婦人の塔からグラナダ市街北部を眺めたり、ハルタル庭園を練り歩いたりして時間を過ごした。時刻が11:00頃となっていたので、次の目的地のことも考慮して、アルハンブラ宮殿を後にした。

 城壁の外に出てチケット売り場まで戻り、到着していたアルハンブラバスに素早く乗り込んだ。バスはゴメレス坂を下り、次にダロー川沿いの道を登ったり複雑な道を経由して、レイジェス・カトリコス通りにたどり着いたので、そこのバス停で降車した。グラナダの最後の締めに王室礼拝堂を制覇するためであった。王室礼拝堂は、レコンキスタを完結させたカトリック両王と呼ばれるイザベル女王とフェルナンド2世王の霊廟が置かれている。拝堂の中に入り(3.5ユーロ)、メインの両王の墓の前にたどり着いた。中心部に大理石の墓が設置されており、両王の棺はこの墓の地下に埋葬されている。墓のそばの階段を下りるとその棺を見ることが出来た。礼拝堂内の絵画などを見学した後、礼拝堂を後にしてホスタルに戻った。

 部屋に戻り、出発の準備を整えてチェックアウトした。チェックアウトリミットの12:00丁度であった。駐車場にバイクを取りにいき、パニアケースを装着して出発した。向かうはコスタ・デル・ソル(太陽海岸)と呼ばれている地中海沿岸であった。市街地を抜けてA44をひたすら南下した。朝から何も食していなかったので、ガソリン給油を兼ねて、157kpの出口でA44を降りてN323a沿いを少し走り、DURCALという町のスタンドに入った。給油を終え併設のバルに入り、生ハム・チーズのサンドイッチと水(3.25+1.75=5.0ユーロ)を注文した。ガソリンスタンドのバルで食事するのはスペイン上陸後初めてである。公共交通機関での旅行ではこのようなところで食事をするということはまず無いであろう。当然ながら外国人は皆無であり、周りの客からは変な東洋人ライダーがバイクでやって来たという目で見られた。(と思う) 天気もすっかり晴になり、気温も20度近くあるので絶好のツーリング日和であった。日差しが入って暑いくらいの店内でしばらく寛いだ後、コスタ・デル・ソルを目指し再びA44を南下した。

 

 

 荒涼とした山々を眺めながらひたすら南下した。途中非常連絡設備や、最近完成したと思われる鋼管トラス橋(viaduct embalse)などを見学し、モトリル(Motril)からA44→A7に乗り換え、西方向に走り出した。海沿いにはリゾートホテルなどが立ち並び、遂に地中海に到達したという実感が沸いてきた。さらに走り続け、292kpのネルハでA7を降り、MA5105を北上した。目指したのはフリヒリアナ(Frigiliana)であった。この町はアンダルシアの白い村のひとつであり、アンダルシアに来たら一度は訪れてみたいと思っていた。路線バスの便もそれほど多くないので、個人で行くにはツアーなどに参加するしかなく、行程上の制約が多い。やはりバイクを選択したのは正解であった(と思う)。

 MA5105を4kmほど走り、町に入った。高台の駐車場?にバイクを停め、Plaza Del InzenioのあるレアルReal通りから坂を上り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

坂の両側の家々の白い壁が非常に美しく、坂の一番上と思われるところに到着すると、眼下には街並みと地中海の景色が飛び込んできた。青い空と紺碧の地中海と白い家のコントラストが印象的である。さすがに「スペインで最も美しい村」に選ばれただけある。

 

 

 

 

 

 

気温も20度はあると思われ、温かいを通り越して暑いくらいであった。スペイン南部とはいえ冬はそれなりに寒いと思っていたので、うれしい誤算であった。冬用のバイクジャケットを脱いで、さらに町歩きをした。

 

 

 

 

町歩きを堪能したあとバイクに戻り、再び路地にバイクで乗り入れ、記念撮影をしてフリヒリアナを後にした。時刻は16:30になっていた。

 夕日を浴びながらA7を西へ走り、マラガに到着した。マラガはコスタ・デル・ソルの中心都市であり、人口56万人を擁する。ピカソの生誕地としても有名である。市内に入り、道に迷いながら何とか中心部のアラメダ・プリンシパル通りにたどり着いた。ここで何件かホテルを訪ね歩き、マルケス・デ・ラリオス通りMarques de Lariosから一歩入ったホスタル(Hostal Juanita)を今夜の宿にした。(33ユーロ) フロントに駐車場のことを訪ねるとアタラサナス中央市場の駐車場のチケットを渡されたので、そこに駐車することにした。(5ユーロ) 時刻は19:00を過ぎていた。

 宿も決まったので街歩きをすることにした。まずはカテドラル前にやって来た。街中は年末ということもありお祭りムードであった。クリスマスは過ぎているが、ヨーロッパではクリスマスが過ぎても大晦日までクリスマスが続いているような感じであった。ちなみのこのカテドラルは、当初2つの尖塔が並ぶ予定であったが、資金不足により片方しか完成しなかったという経緯がある。マルケス・デ・ラリオス通りにはレストランが立ち並んでいたので、そのうちの一軒(La Taberna del Obispo)に入り食事を取ることにした。空腹だったので、パン+ハムエッグトースト+オムレツ+ジュース(=0.5+2.5+3.5+1.8=8.3ユーロ)を注文し、すばやく食した。食後しばらく街中を徘徊した後、歩き疲れたこともありホスタルに戻り23:30頃に就寝した。

【走行距離:188.2km】

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