2009年12月31日(木) 天候 曇のち雨のち晴

 朝は7:00に起床した。昨日は比較的走行したほう?であり、名所もかなり回ったので、疲れてよく眠れた。朝食を取るべくレストランに向かった。レストランは広々としていて誰もいなかった。私が一番乗りのようであった。準備はすでに出来ていたので、早速皿にパンなどを盛りつけた。スペインのホテルの朝食は、日本の感覚で言うところの軽食である。盛り付けたのは、パン・チョコフレーク・ハム・チーズ・オレンジジュースなどであり、3時のテイータイムのようなメニューであった。外はまだ夜明け前であり、港の明かりが煌々と辺りを照らしていた。他の客が次々にレストランにやって来たと同時に、食事も終えたので部屋に戻り、出発の準備をした。

 準備を終えて、9:00前にホテルを出発した。まずはイベリア半島最南端のタリファ(Tarifa)を目指した。タリファへはE5を西へ20kmほど走ることになるが、この日は台風のように風が強くてバランスを取るのが精一杯であった。強風と戦いながら何とかタリファにたどり着いたのが10:00前となっていた。随分とペースダウンを余儀なくされてしまった。E5からアンダルシア通り→フエルサス・アマダス通りを経て、Plan de Dinaminacion Turisticaと書かれた看板の前に到着した。この先はジブラルタル海峡で、海峡に向かって左手には灯台のような施設が見えたが、風があまりにも強く、立っているのもやっとの状態だったので、灯台へ行くのは断念した。そうこうしているうちに雨も降り出したのだ、アンダルシア通りに戻り、雨宿りしながらレインウェアを着込み、港へ向かった。タリファからは、モロッコのタンジェ行きのフェリーが運航されている。いつかはアフリカにも渡ってみたいものだ。フェリーターミナルなどを記念撮影をして、タリファを後にした。

 本当はE5を北西に向かいたかったが、前述したとおり強風がすさまじいため、一旦アルヘシラスに戻り、A381で北西へ向かうことにした。E5の途中でガソリンを補給し、アルヘシラスからA381を北西に走行した。A381は高速規格であり、しかも内陸を突っ切っているので、風の影響がかなり軽減された。結果的にはアルヘシラスに戻ってでもこのルートを選択したのは正解だった。(と思う) 順調に距離を稼ぎ、A381の終点の手前の1kp出口に差し掛かったとき、右手の風景に驚かされた。なんと出口一帯が池のように水に浸かっていたのだ。当然出口も封鎖されていた。スペインの冬は思いのほか雨が多いらしい。驚きの景色を撮影して再び走り出し、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ(Jeres de la Frontera)(以下、ヘレスと略す)に到着した。時刻は12:30を過ぎていた。

 ヘレスは、世界でも有名なヘレス酒(英語ではシェリー酒)の産地でよく知られている。私は酒はあまり飲めないので詳しくはないが、酒好きであれば一度は訪れてみたいのではなかろうか。(と思う) 到着した頃には天気も回復したので、市内を巡ることにした。

 

 

 

 

 

カテドラル→サン・ディオニシオ(San Dionicio)教会→アロヨ広場(Pl.del Arroyo)などを周った。石畳の路面は雨で濡れており、しかも坂道が多かったので滑りやすくなっていた。特に下り坂は注意を要した。ボデガの前を通り過ぎ、ヘレスを後にした。

 ヘレスの街を抜け、A4→N犬鯔名紊靴拭周りは緑の平原と青い空のコントラストが印象的であった。しかしながら平原だけあって周りに遮るものが無いので風が強く、またしてもペースダウンを余儀なくされた。路肩も狭いので大型トラックに追い抜かれるときは、その風圧でバイクが倒されそうになった。ヘレスから43km走行したところで、有料高速道路に乗るためにN権A371に乗り換えた。

 

  しばらく走ると、有料道路であるAP4の44kp入り口に合流した。14:20頃であった。いよいよスペインの有料道路初走行である。折角なので、料金所付近や料金事務所などを見学した。

 

 

 

 

 

 事務所にいた職員に片言の英語で通行方法などを確認した。今回走るAP4は、民間会社がコンセッション方式で建設・管理をする形で整備されており、コンセッション会社大手のAbertis社の傘下のAumar社が運営している。通行システムは日本と同様で、料金所入り口で機械から出てくるチケットを取る方法と、日本で言うETCシステムのような自動通行システム(VIA)の2種類である。私は当然ながら自動通行システムは使えないので、チケットを受け取り入り口を通過した。ランプを通り片側2車線の本線に進入した。時刻は、料金所などを見学していたこともあり、14:50になっていた。

 上下線の路肩側は防風林?となっており、風の影響をほとんど受けずに快走することが出来た。また、片側2車線なので、私より早い車を追い越させるのもスムーズだった。先ほど走行したN犬亙丗Γ閏崟で路肩も狭く、車を追い越させるときは路肩で一旦停止しなければならなかったので、随分と負担が軽くなった。のんびり走りながらも順調に距離を稼ぎ、AP4の終点となる12kp出口(Dos Hermanas)を通過した。37kmの走行で3.05ユーロであった。私は無人のトールゲートでクレジットにて料金を支払った。日本で言えば、東名高速の東京IC〜厚木IC間(35km)の通常料金が、自動二輪車で1050円(H22.10現在 ETCなどでさらに割引有)であるので、同様の距離で半額以下でありお得感がある。さらにAP4から連続するA4を走り、15:20頃にSE30とのジャンクションにたどり着いた。

 SE30はセビーリャ(セビリア)(Seilla)の環状道路である。ようやくセビーリャ市街地に入ったことになる。中心部に入る前に、SE30の一部であるV Centenario橋(Puente del V Centenario)をバックに記念撮影をした。この橋は斜張橋で、アルフォンソ13世水路(canal de Alfonso X)を跨いでいるが、橋脚の細さが気になった。やはり地震のない国だとこうなってしまうのであろう。続いて水路沿いを走り、古いトラス橋と貨物引込み線をバックに記念撮影をしながら中心部に向かった。途中アンダルシア通りを東に向かい市街地から遠ざかるなど道に迷いながら、何とか中心部のメネンデス・ペラヨ通り(Calle de Menendez Pelayo)にたどり着いた。

 駐輪場のあるホテルを探したが、なかなか見つからなかった。仕方が無いので、サンタ・マリア・ラ・ブランカ通り(Calle Santa Maria la Blanca)とメネンデス・ペラヨ通りの交差点近くの地下駐車場(24時間?15ユーロ)にバイクを止め、ガイドブックに掲載されていたサンタ・マリア・ラ・ブランカ通りのホスタル(サンタ・マリア・ラ・ブランカ 20ユーロ)を今夜の宿にした。

 ようやく身軽になったところで、街中に繰り出すことにした。まずはセビーリャの代名詞とも言えるカテドラルに向かった。セビーリャのカテドラルは、もともとムスリムのモスク跡地に建設され、1519年に完成した。カテドラルで特に注目すべきはヒエルダの塔である。

 

 

 

 

 高さ97mのこの塔は、ムスリムのアルモデア王朝時代に建設されたミナレット(尖塔)に、1568年に鐘塔を付け加えたものである。カテドラルは1987年に世界遺産に登録されているが、ちなみにローマのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂に次ぐ世界第三位の規模を誇るという。この時17:00を過ぎており、中に入ることは出来なかったので、外からの眺めだけで我慢した。ちなみに、カテドラルの周りは馬車が数多く止まっていた。 

 

 

また、カテドラル向かいのアルカサル内の庭や、かつてのユダヤ人街であるサンタ・クルス街などを徘徊し、セビーリャの街並みを堪能した。

 

 

 

 

 

 

 夕食を取るべく再びカテドラル前に戻ると、カテドラルの一角の礼拝堂らしきところが出入り自由だったので中に入り見学したり、コンスティトゥシオン通りを走る路面電車を見学したりした。レストランを探すべくしばらく徘徊したが、気軽に入れそうなレストランが見つからなかったので、宿の前のバルに入ることにした。(Restaurante Modesto) さすが大晦日だけあり中は大変賑わっていた。このバルはタパス(小料理)がショーケースの中に入っており、注文がしやすかった。何品か目星を付け、パン+ビール+カタクチイワシフライ+ホタテのグラタン風(=1.0+1.9+4.8+5.9=12.7+税=13.6ユーロ)を注文した。今日は朝食以来何も食していなかったこともあり、出てきたタパスをビールと共に堪能した。食事を終え店を出て、売店で水を買って一旦宿に戻った。年が変わる前に再び起き外に出ると、新年を祝う人々で賑わっていた。これは万国共通なのだろう。しばらく新年を祝う街中を徘徊し、歩きつかれたので宿に戻り就寝した。

【走行距離:276.6km】

 

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