2010年1月2日(土) 天候 曇

 朝は7:00に起床した。朝食を取るために1階のレストランに降りた。レストランは元は礼拝所のような雰囲気をかもし出していた。

食事はパンとフレーク中心であったが、ジャムをはじめとする品揃えが豊富であった。時間も早かったこともあり、レストランは私一人であり、何だか優雅な気分になった。レストランの雰囲気を堪能しながら食事を取り、満腹となったところで部屋に戻り、出発の準備をした。

 出発の準備を整え、8:30過ぎにホテルをチェックアウトした。この日はスペインツーリングの最終日であったので、マドリッドに戻ることになる。カセレスからマドリッドまで約320kmであり、ただ戻るだけであれば余裕であったが、それでは味気ないので、途中寄り道しながらマドリッドへ向かうことにした。駐車場からバイクを出し、昨日通ったN521を経由してA58を東へ走り出した。朝のA58はほとんど車が走っていなかったので快適に走行できた。走行している間にトルヒーリョ(Trujillo)という街の案内板が見えたので、立ち寄ることにした。

 A58の9kp出口からN521経由でトルヒーリョの街中に入り、パルトス通りとの交差点にある教会前にて記念撮影をして、マヨール広場を目指した。街中は中世の街らしく街路が複雑で、迷いながらサン・カルロス公爵邸を見つけたのでそれを目指して走り、ようやくたどり着いた。トルヒーリョは、インカ帝国を征服したことで有名なフランシスコ・ピサロの出身地として知られており、広場にはピサロの騎馬像が設置されている。朝早いので観光客もまばらであった。清掃員の方にピサロ像とサン・マルティン教会をバックに記念撮影をしてもらい、中世の雰囲気を残す街中を通り、元のA58に戻った。時刻は10:30になろうとしていた。

 A58からA5を経由して、ひたすら東を目指した。本当はグアダルーペ(Guadalupe)に立ち寄りたかったが、地図を見ると途中の道は細くて曲がりくねっており、立ち寄るとマドリッド見物の時間が無くなってしまいそうなので諦めた次第であった。途中ガソリンを補給する以外はひたすら走り続け、12:00頃にはマドリッド市街に入っていた。さすがにこの時間にマドリッドに入っても時間をもてあますだろうと思った。折角バイクに乗っているのだから、スペインツーリングの最後の締めにマドリッド郊外にあるセゴビア(Segovia)を目指すことにした。

 セゴビアへは、A5からM50→A6→AP6→AP61を経由して北に走り続けることになる。少し道を間違えながら何とかAP61に入ると、料金所が出てきた。スペインツーリングで2回目の有料道路であった。AP6とAP61は、Abertis社グループのIberpistas社によって運営されている。一昨日利用したAP4とは同じグループであるが運営会社が異なる。コンセッションの権利を取得するときなど、競争原理が働いているのであろうか。料金は、Villalba〜セゴビア間48kmで5.65ユーロであった。(通行券はセゴビアから戻るときのもの) 並行するN603を利用する手もあったが、時間を稼ぎたかったのでこのルートを選択した次第であった。ひたすら走り続け、14:00頃にセゴビアに到着した。マドリッドから約90kmもあり、道を間違えたこともあり思ったよりも時間がかかってしまった。

 セゴビアは、古代ローマ時代から繁栄した街であり、ローマ水道が世界的に有名である。1985年に世界遺産に登録されている。駅前に行ってしまったりなど少し迷いながら、何とかローマ水道前にたどり着いた。

 

 

 

 

セゴビアのローマ水道橋は、紀元前1世紀に建設され、全長728m、最大高さは28mになるという。近くで見ると圧巻であった。わざわざ足を運んだ甲斐があった。驚くことに、19世紀まで水道橋として使われていたという。しばらく水道橋を眺めた後、ガソリンスタンドに立ち寄り、セゴビアを後にした。

 セゴビアから来た道をひたすら戻った。走行中はかなり寒く、セゴビア郊外から見た山々には雪が積もっていた。アンダルシアとは気候が全く異なることを肌で実感した。ひたすら走り続け、マドリッド市街に戻ってきた。A6を降り、そこから連続するプリンセサ通り(Calle de Princesa)を走りしばらくすると、スペイン広場(Plaza de Espana)前にたどり着いた。時刻は16:00になっていた。

 ここにやって来たのは、目的の宿がこの近くにあるからだった。アルベルト・アギレラ通り(Calle de Alberto Aguilera)から一歩入った、サンタ・クルス・デ・マルセナード通り(Calle de Santa Cruz de Marcenado)にあるユースホステル(サンタ・クルス・デ・マルセナード)が目的の宿であった。受付に行くと、受付開始は16:30からと言われたので、パニアケースをユースに持ち込んで待つことにした。バイクの返却はこの日の20:00であったが、あえて先にユースに来たのは、荷物を降ろして身軽になり、マドリッド市内を周ってからバイクを返却したかったからであった。16:30になったので受付で料金を支払い、シーツを受け取った。(朝食込み12.84ユーロ 会員証必要) ユースに宿泊することもあろうかと日本で会員証を10年近くぶりに作っておいたので、無事利用できた次第であった。部屋は2人一部屋の2段ベッドであり、共同のシャワーとトイレ、洗面所が付いていた。寝るだけであれば必要充分であった。パニアケースの中の荷物を降ろし、空になったパニアケースを抱えて再びバイクに戻った。

 バイクに戻りパニアケースを取り付けグラン・ビア(Gran Via)方面に走り出した。目的はマドリッドの主な美術館巡りであった。まず向かったのはソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)であった。ソフィア王妃芸術センターは、スペインの現代美術などを集めた美術館であり、パブロ・ピカソの「ゲルニカ」もこの美術館の所蔵である。うれしいことに、土曜日は14:30以降は入場料無料ということであり、当然ながらこの時間を狙って来場した次第であった。グラン・ビア通り→アルカラ通り(Calle de Alcala)→プラド通り(Paseo del Prado)→アトーチャ通り(Ronda Atocha)を経て、17:00過ぎに到着した。

 建物の裏手の駐輪場にバイクを停め、早速美術館に入場することにした。受付で無料のチケットを受け取り中に入るようになっていた。建物は18世紀の病院の建物をベースに、さらに近代的な改装を行っており、モダンな建物であった。チケット(左図)を受け取り、早速中に入った。無料と言うこともあり、多くの人々が訪れていた。メインのゲルニカにはさすがに多くの人々が集まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピカソの他に、サルバドール・ダリ、ヨハン・ミロなど層々たる現代美術の巨人の作品が並べられていた。このようなところに無料で入場できたのは大変ラッキーであった。作品を堪能した後、ソフィア王妃芸術センターを後にした。時刻は18:00を過ぎていた。

 続いて向かったのは、あのプラド美術館(Museo Nacional del Prado)であった。プラド美術館はスペイン王家所蔵の美術品を展示したのが始まりであり、ヨーロッパの名だたる芸術家の美術品が一同に介しており、世界的にも有名な美術館である。この美術館も18:00以降であれば無料で入場できると言うことであったので、当然ながら目星をつけていた次第であった。アトーチャ通りからプラド通りに戻り、プラド美術館前にたどり着いたが、駐車場どころか駐輪場らしきものも見当たらず、しかも警察が巡回していることもあったので、仕方なくカノバス・デル・カスティーリョ広場(Plaza de Canovas del Castillo)に駐車した。(写真はプラド美術館から戻るときに撮影)

 ロックを厳重に掛けて、美術館に向かった。入り口にはたくさんの人々が並んでいた。考えることは皆同じである。チケット(右図)を受け取り中に入り、展示されている絵画を見て周った。特にディエゴ・ベラスケスの「女官たち(ラス・メニーナス)」の前にはたくさんの人だかりが出来ていた。記念撮影が出来なかったのが残念であったが、美術品を充分に堪能した。ベラスケスのほか、フランシスコ・デ・ゴヤ、エル・グレゴなど層々たる画家の作品を堪能した。名残惜しくはあったが、時刻も19:00を過ぎていたので、プラド美術館を後にした。

 マドリッドの主な美術館も無料で制覇し、目的も達成したので、あとはバイクを返却するだけであった。プラド通り→シウダッド・デ・バルセロナ通り(Avenida de la Ciudad de Barcelona)→アルブフェラ通り(Avenida de la Albufera)を経て16kp出入り口からM40に入った。しかし標識を見て反対方向に向かっていることに気づき、19kp出入り口で折り返し、5kp出入り口を目指した。日本よりも少し薄暗い道路をしばらく走り、懐かしの5kp出入り口が見えてきたので、そこでM40を降りた。出口のそばにある、ツーリング初日に一番最初に立ち寄ったガソリンスタンドに立ち寄り、ガソリンを満タンにして、Happy Rider Motorcyclesに向かってラストランを開始した。M11のボックスをくぐり抜け、見覚えのある坂道にたどり着いたが、辺りが暗くなっていることもあり、Happy Rider Motorcyclesの場所が分からず、15分ほど迷ってしまった。仕方が無いので電話をすると、奥さんが電話に出てきて場所を教えてくれた。最初に見た坂道の上がHappy Rider Motorcyclesであり、先ほど何回か通った所であった。人間あわてると冷静な判断が出来ないものである。

 ようやくHappy Rider Motorcyclesにたどり着き、バイクをゲートの中に入れた。20:20になっていた。これでスペインツーリングが終了した。家の中に入り、しばらく奥さんとツーリング談話をした。話を聞くと、やはりアンダルシアは冬でも暑いくらいだそうであった。最後に美術館を無料で周った話をすると感心された。そうこうしているうちにホセさんが戻ってきたので、バイクのチェックのあと、私を地下鉄の駅まで車で送ってくれることになった。Happy Rider Motorcyclesから最寄の駅であるマール・デ・クリスタル(Mar de Cristal)駅まで車で5〜6分であった。ホセさん夫婦に見送られながら、地下鉄の改札口に向かった。

 初日と二日目はタクシーを利用したので、マドリッドの地下鉄は初めてであった。自動券売機で1ユーロを投入して切符を購入し、改札口を通ってホームに向かった。しばらくすると地下鉄がやって来た。

日本に比べ、随分と細長い列車であった。マドリッドの地下鉄は1919年に開業し、90周年を迎えたとのことであった。私が乗ったのは4号線であった。マドリッドの地下鉄は、1回乗車券の場合、改札を出るまではどこまで乗車しても1ユーロとのことである。この日は土曜日ということもあり車内は空いていた。30分ほどで終着駅のアルグエリェス(Arguelles)駅に到着した。マドリッドの地下鉄は危険だと言われているが、今回に限ってはそうではなさそうであった。(でも油断は禁物です) 時刻は21:30を過ぎていた。

 

 

 

 

 改札を出て地上に上がり、ユースに荷物(ヘルメット、グローブ等)を置いて、夜の街に繰り出すことにした。今日はスペイン最後の夜なので、マドリッドの夜の雰囲気を堪能しようとした。ユースからスペイン広場や工事中のスペインビルの前を通り過ぎ、グラン・ビア通りを練り歩いた。グラン・ビア通りは20世紀はじめに古い街を区画整理して誕生した通りで、言われてみればニューヨークっぽい感じがした。通りの両側はホテル・レストランや劇場が軒を連ねていた。通りを少し外れると、即席のスケート場や夜店が開設されていた。もう少し歩くと、中華街のような所にたどり着いた。漢字の屋号を掲げたレストランがあったり、商店の窓から孫文の肖像画が見えていたりなと一種独特の一角であった。

 空腹となったので、食事を取ることにした。スペイン最後の夜はやはりバルということで、グラン・ビア通りに面したバルに入った。(Don Jamon) カウンターに陣取り、メニューの中からタパスのセット+ビール(10.3ユーロ)を注文した。出てきたタパスをつまみながらあおる一杯は格別なものであった。満足したところで店を出たときには23:30になろうとしていた。名残惜しかったが、明日の飛行機に乗り遅れてはいけないので、ユースに戻った。部屋に入るとベッドの2階の人がすでに就寝していた。私も明日に備え0:00頃には就寝した。

【走行距離:523.6km】

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