2010年9月20日(月) 晴

 朝は6:00前に起床した。甲板に出ると、フェリーは鹿児島は志布志港に入港していた。志布志は九州ツーリングで何度か立ち寄ったことはあるが、フェリーで入港するのは初めてであった。(私の場合、九州ツーリング時は門司港・別府港の利用が多い。) 6:25頃に朝日が昇り始めたので記念撮影をした。フェリーは1時間半ほどの荷役作業を終え、7:30過ぎに志布志港を出港した。

 しばらく航行した8:40頃に、向かって右手に内之浦宇宙空間観測所が見えた。ひときわ高い建物はロケット発射台であり、周辺にも大型アンテナなどの施設が建てられている。内之浦宇宙空間観測所は1963年(昭和38年)に開設され、1970年(昭和45年)には日本初の人工衛星「おおすみ」が打ち上げられたことで知られている。現在でも宇宙観測やロケットの打ち上げ等が続けられており、種子島宇宙センターと並ぶ日本の宇宙開発の施設である。

 やがて、フェリーは大隈半島を離れた。海は呆気に取られるほど穏やかであった。10:00頃に向かって左手に種子島が見えた。続いてしばらく航行すると、右手に馬毛島が見えた。HPでの航路図では種子島の東側を航行するようになっていたので以外であった。馬毛島は種子島の西方12kmに位置している島で、面積は8.2平方キロほどである。最高地点は71.7mで、海上から見ても平らであることが分かる。また、最近では沖縄の基地移転候補のひとつとして着目されたことが記憶に新しい。

 馬毛島を離れた10:50頃には、向かって右手に屋久島が見えてきた。先ほどの馬毛島と異なり、最高峰の宮之浦岳は1936mで、九州地方一の高さを誇る。まさに洋上から突き出しているという表現がぴったりである。1993年には世界遺産(自然遺産)として登録された。宮之浦岳の頂上付近は雲で覆われていて、山頂を確認することは出来なかった。しかしながら、宮之浦岳の雄大な全体像は、海上からしか見ることが出来ない風景であり、それを目で見ることが出来たので、得した気分になった。対照的に左手の種子島はのどかな風景であった。

 11:30になり昼食券の販売が始まったので、ラーメン(530円)とおにぎり(100円)を購入した。12:00になりレストランで昼食を食した。フェリーは丁度屋久島の真横を通過しているところであった。世界遺産を眺めながらの船上の昼食は格別であった。

 昼食後しばらく休憩し、14:00頃に甲板に出ると、向かって右手にトカラ列島の島々が見えてきた。目で確認できた一番大きな島は恐らく中之島であろう。トカラ列島は種子島・屋久島と奄美大島の間に連なる島々で、全てが十島村に属している。それらの島々にたどり着くには、村営フェリーの「フェリーとしま」に乗船するしかない。難易度は高いが、いつかはツーリングしたい島々である。

 日も暮れ始めた17:30頃、向かって左手に陸地が見えてきた。笠利崎であった。いよいよ奄美大島が見えてきた。甲板の反対側の向かって右側に行くと、太陽が東シナ海に沈みつつあった。大洋に沈む太陽は非常に雄大であり印象的であった。

 

 

 

 

夕日は、名瀬港に入る頃に、水平線と赤崎の境界部に沈んでいった。フェリーの旅でしか見ることの出来ない、絵になる光景である。なお、夕日とは関係ないが、今は利用されていない旧二等船室を発見したので記念撮影した。有村産業時代にはツーリストキャビン(二等船室)として使われていたようだが、乗客の減少により、マルエーフェリー所有になってからは閉鎖され、倉庫になっているようだった。

 18:30頃に、船は名瀬港に着岸した。いよいよ奄美大島上陸である。東京の有明埠頭を出港してから実に45時間の船旅であり、私の船旅の中で最長となった。久々の陸地であった。上陸の記念撮影をして、あらかじめ携帯で予約しておいたホテルに向かった。19:00過ぎに名瀬の繁華街近くにあるホテルに到着し、チェックインした。(ホテルニュー奄美:朝食付4400円) 船内ではシャワーばかりだったので、ホテルの大浴場で一風呂浴びた後、繁華街に繰り出した。

 食事をどこにしようと繁華街を練り歩いたが、奄美に来たならば島唄と島料理だろうと思い、島唄・郷土料理「吟亭」に入った。

 

 

 

店に入り座敷に上がり、島焼酎「高倉」(グラス:500円)と、奮発して島料理のおまかせコース(3000円)を注文した。出てきた料理は島の特産品を使っており、島の味を堪能した。しばらくすると、島唄の演奏が始まった。年配の歌い手さんによる、本場の島唄に思わず聞き入ってしまった。

なお、店主の松山さんは、1999年(平成11年)に奄美民謡大賞を受賞したほどの実力者である。島唄の次は、店の客が皆席を立ち、三味線・太鼓の演奏に合わせて踊ることになった。

踊りも終わり、〆のご飯・イカ墨汁そして黒糖をいただき、22:30前に店を後にした。

 

もうしばらく繁華街を徘徊したが、名瀬の繁華街は、離島とは思えないほど栄えているように見えた。さすがは鹿児島県の離島自治体で最大の人口(約45000人)を抱える奄美市の中心だけはある。鹿児島県第二の繁華街とも言われている。歩き疲れた23:00頃にホテルに戻り、明日からのツーリングに備え就寝した。

 【走行距離:1.3km】 

TOPへ

9/19へ

9/21へ