2010年12月27日(月) 天候 晴

 朝は6:00前に起床した。前日は走り疲れていたので、船の中にもかかわらず熟睡したようであった。到着までまだ時間があるので、しばらく船内を徘徊するなどして過ごした。そうこうしているうちに、間もなく港に入港するというアナウンスがあったので、部屋に戻り荷造りをした。予定通り7:30に入港したので、デッキに行きバイクに荷物を積み込んだ。車が降りた後、私の降りる番となったので、あの急坂のスロープを下り、フェリーを降りた。

 遂に人生初のアフリカ大陸上陸を果たした。東の空から朝日が昇ろうとしていた。上陸記念に記念撮影をしていたら、スペインのアルメリア発フェリーがまさに着岸しようとしていた。私が到着したのはメリリャ(Melilla)というスペインのアフリカ大陸側の飛び地のひとつであり、アフリカ大陸には上陸したが、モロッコに入国したわけではなかった。あわてて国境に行っても、マラガからとアルメリアからのフェリーの乗客で込み合うことが予想されたので、ターミナルビルに立ち寄ってから国境へ向かうことにした。フェリーターミナル内に入ると、マラガとアルメリアからのフェリーから降りてきた客で賑わっていた。スペイン人に混じり多くのアラブ系の人々も見かけた。軽く朝食を取ろうかと思ったが、レストランも込み合っていたので断念した。ターミナル内をしばらく徘徊して国境に向かうことにした。

 国境へは、スペイン広場(Plaza de Espana)から約3km南へ向かうことになる。念のため国境を越える前に、アクトール・タリャビ通り(Actor Tallai)沿いのガソリンを補給してから、南方向に走り出し、スペイン側の出国ゲート前にたどり着いた。時刻は8:50を過ぎていた。スペイン側の出国は、パスポートを提示するだけで素通りすることが出来た。(通行後、出国スタンプが無いと後々トラブルになると思い、係官に交渉して、何とかスタンプを押印してもらいました。念のため、スペイン側の係官が素通りさせたとしても、必ずスタンプを押してもらうように交渉すべきでしょう。) スペイン出国後、200m程離れたところにあるモロッコ側の入国ゲートに向かったが、車が長い列を成していた。管理事務所の警官?が誘導してきたのでそれに従い、何とかゲート前にたどり着いた。

 ゲートのそばにバイクを停めた。西欧(スペイン・ドイツなど)のライダーのバイクも停まっていた。日本人には馴染みが薄いが、西欧人にしてみれば、メリリャからモロッコへの入国も、割とメジャーなルートなのかも知れない。(船内で一泊できるのは大きい) 書類を作成しようと、ゲートに設置されているブースに向かった。ブースは人間の入国審査のものと、車両の入国審査のものが縦列で並んでいた。それぞれのブース前には人々が列を成していた。

 まずは入国カードを得ようとブースの係員に要求したが、最初は全然話にならなかった。そうするとどこからとも無く、あやしいモロッコ人ブローカーがやってきて、「俺はいい人」「入国カードをもらってきてやる」「代筆してやる」などと言ってきた。言い値は忘れたが、当然後から金を要求してきたので、すかさず断った。そばにいた警官に入国カードについて尋ねても要領を得なかった。恐らく外国人相手のブローカーの商売を黙認している(袖の下をもらっている)からだと思われた。少しまごついてしまったが、スペイン人のドライバーに声を掛け、彼と一緒にブースに再び向かい、何とか入国カードを入手した。(入国カードを入手するにもこれだけ苦労させられるのかと閉口させられた)

 ブースの列に並びながら入国カードに必要事項を記入した。私の順番が周ってきたので、パスポートと入国カードを提示した。係官は最初私のことを「チノ(中国人)か?」と疑ったが、「ジャポン」と「カナガワ」を連呼して、何とか入国スタンプをゲットした。続いてはバイクの入国審査である。車両の入国審査ブースに行き、入国スタンプを押したパスポートを見せて、車両用の入国カード(緑色)をゲットした。並んでいる間に、別の西欧人(スペインとイギリス)ドライバーから、入国カードの記入方法を聞いて記入した。

 私の番になり、パスポート・車検証をブースに提出した。私の場合はレンタルバイクであり、当然ながらバイクの所有者はHappy Rider Motorcyclesなので、申請者と所有者が異なることについて尋問していた。このときのために、ホセさんが、私にバイクをレンタルしていることを保証する文書を作成してくれていたので、その書類を提示した。結局私が提示した書類は、.僖好檗璽函´⊆嵶祥僂瞭国カード(緑色) 車検証 ぅ譽鵐織襪靴討い襪海箸鯤歉擇垢詈現顱,任△辰拭7鹸韻蓮⊆嵶祥僂瞭国カード(緑色)に何かを記入し、パスポートと書類を私に返さないまま、バイクに乗って警官の立っているゲートに向かうように私に指示した。

 係官の指示に従いバイクに乗り、警官の立っているゲートに向かった。ゲートに向かう車の列に入れてもらい並んだ。私の番になったときに、警官がパスポートの提示を求めてきたので、パスポート関係はブースの係員が持っていることを告げると、警官はバイクを脇に置いてバイクを降りるように私に指示した。西欧人ライダーも同じような指示を受けていた。警官はブースに向かい、私のパスポート等を受け取ると、私の身元について一通り尋問した。尋問を終えると、パスポート等の書類が私に返却され、再びゲートに向かうように指示された。ゲートでは別の警官がパスポート提示とヘルメットを取るように指示してきたので、言うとおりにすると、割とあっさりと通過することが出来た。こうして何とか入国審査を終えることが出来た。時刻は10:30(モロッコ時間9:30)を過ぎていた。ものすごく疲れたが、ある意味良い経験となった。同じく国境を越えることができた西欧人ライダーに挨拶をして、ゲートを離れた。

 ようやくモロッコに入国することが出来た。ひょっとしたら入国できないのではないかと考えていたので、感慨ひとしおであった。ブローカーに金を渡さずに入国できたのは大きな成果であった。(と私は思う。) 要領を得ないときは、西欧系の旅行者に尋ねるのが一番である。彼らは同じ旅行者には比較的親切である。今回はお互いがライダー・ドライバー同士ということも大きかったかもしれない。また、モロッコ人係官は、東洋人に対し疑いの目を掛けているのがあからさまに分かった。こればかりはどうしようもないので、西欧人と共に入国するのが、スムーズに入国する有効な手段であると思われた。

 モロッコ第一歩を踏み込んだこの地は、ベニ・エンサール(Beni-Enzar)という街であった。記念撮影をした後、先を急ぐので早速出発した。交差点にいた警官にナドール(Nador)方向の道を教えてもらい走り出した。N19を南へ走り、まずはナドールを目指した。道路は舗装道路だったが、泥や土が路面に積もっており、走行に気を使った。また、少し郊外に出ると車もスピードを出しており(一般道でも100km/h程度は出す)、モロッコに入国したばかりの私は、最初のうちはそれらの車に追い越しをさせながら先に進んだ。あと、途中で検問が多く張られていたのが印象的であった。(検問はモロッコツーリング期間中至る所で実施されていた。) 警察も交通事故対策に力を入れざるを得ないのであろう。

 そうこうしているうちに、ナドールに到着した。先を急ぐ私は、ナドールを素通りし、N19からN2に乗り換え、引き続き走り続けた。El Batelという街でN2からN15に乗り換え、南を目指した。ゆるい上り道が続き、周りの景色を見ると標高が上がって行くのが分かった。青い空・赤茶けた山・緑のステップとサボテンという光景が、昨日まで走行していたスペインと全く異なることを意識させられた。改めてアフリカに来たのだと実感した。外気も寒くはないので、非常に気持ちよく走行できた。ツーリング冥利に尽きるルートであった。Hassi Ouenzgaという街を通り過ぎ、景色を楽しみながら走り続けた。これほど景色を楽しみながら走り続けるツーリングは国内も含め久しぶりであった。N15の終着点に近づくと、建設中の高速道路と交差したので記念撮影をした。モロッコも経済発展が著しいのであろう。この高速道路はGuercif〜Taza間約65kmを結ぶもので、中国中鉄という中国企業が受注して建設していると言う。12:30頃に、N15の終着点の街グルシフ(Guercif)に到着した。

 グルシフの街中に入り、BMCE(Banque Marocaine du Commerce Extérieur:モロッコ外国貿易銀行)にて、モロッコの通貨ディルハム(DH)をクレジットカードでキャッシングした。入国時にディルハムを入手するタイミングが無かったので早く現金を入手したかったのと、現金が無いとガソリンを給油することも出来ないと考えたからだ。実際この後ガソリンを給油したが、クレジットカードの使用は断られたので、現金を準備しておいて正解であった。ちなみに、ガソリンは10.4DH/L(モロッコ国内では、他のスタンドでも概ね10〜11DH/L程度であった。ちなみに、2010年12月時点で、1DH=約10円)でヨーロッパより安く、スタンドはTOTAL社であった。(95、98等の表示はなし) TOTAL社は、フランスのパリに本部を置く国際的な総合石油企業であり、F1のスポンサーや、「TOTAL」や「ELF」などのブランドで日本でも良く知られている。(どうでもいい話だが、私のバイクシューズも「ELF」である。) モロッコは1912〜1956年までフランスの保護領であったこともあり、フランス語も広く使用されており(公用語はアラビア語)、フランス系企業もモロッコに根付いているようだ。給油後、駅(Gare Guercif)に行き記念撮影をした。列車が到着していないので、構内は人一人いなく閑散としていた。駅の周りを一通り徘徊して、 グルシフを後にした。時刻は13:00になろうとしていた。

 グルシフからはN6を西へ走り続けた。ひたすら走り、タザ(Taza)の街に到着した。中心部から少し離れたところで、小規模のスークが開かれていた。折角なので休憩のついでに見て周ることにした。周りは当然ながら地元のモロッコ人ばかりで、このような地方都市の小規模のスークに東洋人が現れたので、好奇の目で見られた。売られていたものは日用品がほとんどで、モロッコ人の生活の一部を垣間見ることが出来た。しばらく徘徊してスークを後にした。時刻は14:00を過ぎていた。

 引き続きN6を西へ走り続けると、右手にイドリス1世ダム(Idriss 1er Barrage)のダム湖が見えてきた。イドリス1世ダムは1973年に完成し、ダム湖が東西約16kmに広がっている。ステップの中を走り続けてきたので、このような広大な湖と遭遇したことは驚きであった。また、なぜだか道路沿いには八百屋やひょうたん屋などが店を連ねていた。道端にバイクを停めて記念撮影をした後、湖を後にした。

 時刻は15:10を過ぎていたので、今夜の宿泊地を決めなければならなかったので、フェズ(Fez)を今夜の宿泊地に決めた。フェズは湖から50kmほどの距離なので、日が暮れる前に到着できるだろうと考えた。ひたすらN6を走り続けるつもりだったが、モワイヤン・アトラス(中央アトラス山脈)(Moyen Atlas)がはるか遠くに眺めることが出来る田園風景が、北海道の大雪山を望む農場地帯を彷彿とさせたので、思わず記念撮影をしてしまった。あまり遅くなるといけないので、あとはひたすらフェズまで走り続けることにした。

 フェズには16:30頃に到着した。しかし、旧市街は高級ホテルか安宿しかなく、安宿はバイクを駐車できそうになさそうなので、新市街に向かうことにした。新市街は旧市街から3kmほど離れている。しばらく走るとレジスタンス広場(Plaza de la Resistance)にたどり着いた。ハッサン2世通り→ムハンマド5世通りを経て、ガイドブックで狙いをつけていたホテルを周り、2件目で何とかチェックインすることが出来た。(ただし、CCが使えなく、なおかつDHが不足していたので、両替してからチェックインできたのだが・・・) 時刻は17:30となっていた。今夜のホテル(Grand Hotel de Fez 宿泊+駐車場+朝食=340+10+40=390DH)はムハンマド5世広場のそばにあり、また市営バス乗り場やプチタクシー乗り場が近くにあり、旧市街への移動も便利である。

 部屋で少し休憩してから、旧市街を見学すべく市営バス乗り場に向かった。しばらくバスを待っていたが、旧市街方面行きのバスがなかなか来なかった。途方にくれていると、一人の学生風の女性が声を掛けてきた。身なりは欧米風であった。モロッコはイスラム教徒の多い国であるが、都会ではこのような欧米風のスタイルの人々が街中の至る所に見受けられた。流暢な英語で話しかけてきたので、話の内容を理解することが出来た。その女性は英語学校に通っていて旧市街の自宅に帰るためバスを待っていること、将来は語学を生かして海外で働くことを希望していることなどを話した。まだ海外には行ったことが無いが、特にアメリカに行きたいという。また、私が日本から来たこと、バイクでスペインからモロッコにやってきたことなどを話すと、興味深そうにしていた。彼女は日本人に会うのは初めてであり、日本人が珍しかったからかもしれない。1時間近く待ってようやくバスがやってきて、何とか乗ることができた。(当然満員である) 10分くらいでバスはジェハラ門を通り過ぎ、旧市街のイスティクラル広場に到着した。ここで彼女に礼を言って別れた。

 イスティクラル広場から、旧市街フェズ・エル・バリ(Fez El Bali)に入った。タラア・セギーラ通りを歩いていると、自称ガイドがしつこく付いてきた。ガイドは要らないと何度言っても「ノーマネー、フリー」を繰り返す始末だった。(ノーマネーなど有り得ない。) 「明日また旧市街に来る。」と言うと、ようやく自称ガイドは私の元を離れた。(もちろんそのガイドのところには二度と行くことはなかった。) 時刻も20:30を過ぎており、店も大半が閉まっていたので、今日のところは旧市街を後にした。

 イスティクラル広場からプチタクシーに乗り、新市街のムハンマド5世広場まで戻ってきた。(20:00〜翌7:00まで夜間割り増しなので、20DH) これならバスを使わなくても許容範囲の支出であった。(女子学生と国際交流が出来たので良しとするが・・・) すっかり空腹となっていたので、ホテルの近くのレストランでモロッコ風ハンバーガー?を食した。(コーラと合わせて25DH) ボリュームがあって結構満腹になった。食後、ホテルに戻り、走り続けて疲れていたのか22:30頃には就寝していた。 

(走行距離:345.6km)

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