2010年12月29日(水) 天候 晴

 朝は7:00前に起床した。前日は頑張ってエルフードまで走ってきたので、砂漠まで距離はわずかである。昨日は夜で街の様子がよく分からなかったので、エルフードの中心部を徘徊することにした。

 

エルフードは1917年にフランス軍により設営された経緯もあり、フェズなどの古い街に比べ、雑然とした感じはなく街並みは整然としている。また街中の建物も全体的に直方体で、オレンジとピンクが混ざったような色が大半を占めていた。バスターミナルやスークなどを徘徊した。ちなみに私が宿泊しているホテルに戻る途中で見つけたホテルには、カタカナで「ホテル」と書かれていた。このようなところにも日本人旅行者が訪れていることを改めて実感した。

 DHが不足していたので、ホテル横のBMCEが営業開始したのと同時に入店し、日本円をDHに両替した。宿に戻り、ホテルのレストランにて朝食を食した。(オムレツ+コーヒー=20+8=28DH) 食後、部屋に戻り、荷造りをしてホテルをチェックアウトした。(ちなみに駐車料金として10DHをウェイターに渡した。) ホテルの近くのガソリンスタンドで給油し、ムーレイ・ハッサン通りを南に抜け、サハラ砂漠に向けて走り出した。時刻は9:00過ぎであった。目指すはサハラ砂漠の中にある、メルズーガ(Merzouga)という村であった。メルズーガは、サハラ砂漠の中にある、シェビ大砂丘(L'Elg Chebbi)のすぐそばにある村である。砂丘のすぐそばにある村に興味が魅かれてしまったのが、きつい日程の中、わざわざサハラを目指した大きな理由であった。

 ズィズ川を渡り街中を抜けると、そこは荒涼とした大地が横たわっていた。しばらくは舗装道路が続いていたので、特に問題なく走り続けた。エルフードから17kmほど走ったところで、舗装道路が途切れていた。ここから先は未舗装道路を走ることになる。メルズーガには、エルフードからN13でリッサニ(Rissani)経由で舗装道路が続いているのだが、リッサニ経由だと50kmほどあり、遠回りとなってしまう。それに比べ、今回のルートは、エルフードからダイレクトにメルズーガに通じており、距離も35kmほどであるので、こちらを選んだ次第であった。

 いよいよ未舗装区間を走り出すことになった。この未舗装道路はピステ(道なき道)と呼ばれており、轍の跡をたどるように走り続けることになった。ガイドブックでは「電柱」が目印になるとあったが、その「電柱」は高さが50cmほどになっており、よくよく目を凝らしておかないと見落としてしまうような代物であった。今日はほとんど走るつもりも無いので、ピステを堪能しながらゆっくりと走ることにした。(オンロードタイヤなのでスピードも出せないが・・・) 時々4WD車が走り抜ける以外は、静寂な世界が広がっていた。ピステは基本的にはよく踏み慣らされており、オンロードタイヤでも問題ないが、時々砂地にはまりそうになることもあるので要注意である。(そばまで近づかないと砂地があることに気が付かない。) 荒野をしばらく走るとホテルが見えてきた。このホテルはKasbah Derkaouaというホテルで、ガイドブックによるとピステに入って一番最初に現れるホテルだそうである。ここから先が本格的なピステである。

 Kasbah Derkaouaを過ぎると、ひたすら荒野が続く地平線の先に、大砂丘がうっすらと見えるようになってきた。逆に言うと、砂丘までまだまだ先であると言うことだ。あまり速度を出せないと言うこともあり。実際の距離以上に遠く感じてしまった。轍と電柱?を目印にひたすら走り続けた。辺りは石ころと少々の枯れ草が広がるのみであった。それでも走り続けると、次第にシェビ大砂丘が近づいてきているのが分かった。そうするうちに、ホテルを示す看板などが現れた。やっとホテルが点在する地帯に到達したようであった。

 しかし、メルズーガまではまだまだ距離があるようだったので、地図を広げていると、モペット(ペダル付きの原動機付き自転車)に乗ったベルベル人らしきおっさんがやってきて、「ジャポン」「オテル」などと勧誘してきた。私には目指すホテルがあったので、その勧誘を断ったが、それでも付きまとってきたので無視すると、諦めたのかその場を去っていった。ホテル郡の前までたどり着くと、目の前にシェビ大砂丘が迫っていた。とうとう私のイメージするサハラ砂漠(大砂丘)に到達してしまった。到達記念として、大砂丘の前にバイクを持ち込み記念撮影をしてしまった。しばらく大砂丘を眺めてその場を去った。

 少し走ると、ピックアップトラックが立ち往生していた。どうやら砂地にタイヤが埋まってしまったらしい。トラックには欧米系とアジア系の観光客が乗っており、砂漠ツアーの帰りとのことであった。しばらくすると4WD車がやってきて、ロープで2台の車をつなぎ引き上げるようであった。私とそばを通りがかった地元の少年もトラックの後ろを押すのを手伝った。トラックは何とか砂地を脱出することが出来た。観光客らは我々に礼を言ってその場を立ち去った。私もこの道は危険だと判断し、近くを併走する道まで脱出することにした。 脱出後、しばらく踏み慣らされたピステを走り、何とか私の目指していたホテルに到着した。時刻は13:30になろうとしていた。

 私の到着したホテルは、ガイドブックにも掲載されている、オーベルジュ・キャンピング・サハラ(Auberge Camping Sahara)であった。(夕食・朝食付きで250DH) 部屋も簡素ではあったが、砂漠の中の宿とは思えないほど綺麗で、ホットシャワーも使えるので満足した。また、プールも付いていた。(夏に来ればよかったと少し悔しい思いをした。) YH会員であれば5%割引であったので、割引の変わりにコーラをサービスしてもらった。ホテルのオーナー曰く、このホテルに日本人が来るのはほとんど無いらしい。台帳に記入されている宿泊者もほとんどが欧米系であった。しかもバイクで来る日本人は初めてだということであった。パニアケースをオーナーに手伝ってもらい部屋に持ち込んだ。パニアケースはすっかり砂だらけだったので、シャワーを使い砂を洗い流した。早い時間に宿も決めてしまったので、ついでに洗濯もした。

 一通り用事を片付けた後、メルズーガ周辺を見物することにした。オーナー曰く、舗装道路に出るよりもピステを走り抜けたほうが距離的に近いということもあり、ピステにてメルズーガを目指した。20分ほど走ると、メルズーガの村の中心部に到着した。中心部と言っても閑散としており、一部のカフェなどに観光客がたむろしているほかは、村人をちらほら見受けるくらいであった。村の中心部を貫く舗装道路に入ったが、すぐに途切れ、未舗装道路を1kmほど進むと、砂丘が目の前に迫ってきた。折角なので記念撮影をしていると、ベルベルの衣装の男がやってきてホテルの勧誘をしてきた。男曰く、高田万由子がロケで宿泊したと言う。私はもうチェックインしていると言って断ると、残念そうな顔をして立ち去っていった。

 ピステはオンロードタイヤで走るには大変疲れるので、ホテルへは舗装道路を通って帰ることにした。メルズーガには、モスクや郵便局など、一通りの施設がそろっていた。やはりここまで舗装道路が開通した効果が大きいのであろう。なお、メルズーガは最果てではなく、さらに27km先にTaouzという村があるらしい。少し興味をそそられたが、さすがに舗装道路ではないと思われたので行くのはやめた。ちなみに、道路脇の距離票を見ると、リッサニまで32kmであった。舗装道路脇にある私の宿泊するホテルの看板を見つけ、そこから1.5kmほどピステを走り、ホテルに帰ってきた。時刻は15:30を過ぎていた。

 バイクを駐車しようとすると、見覚えのある車やバイクが停まっていた。メリリャからの入国審査で出会った欧米人ドライバーやライダーであった。ピステを通りここまで来たと話すと、「オンロードタイヤのバイクでよくここまで来たものだ。」「クレージーだ。」と笑いながら握手してきた。私もサハラ砂漠で再会するとは思わなかったので驚いた。特にオフロードライダーの2人とは、共に入国審査で苦労したので、よく入国できたものだと冗談を言い合った。私は入国できないのではないかと思ったらしい。ちなみに、ライダーの2人はホテルではなく、外にテントを張って宿泊するとのことであった。

 

 

 

 

部屋に戻りしばらく休憩した後、ホテル内を徘徊し、夕日を見るために外に出た。ベルベル人の少年がやってきて、「ジャポン?」と聞いてきたので、そうだと言うと、「カラテ」「ジャッキーチェン」などと言ってきた。日本と中国とが混在しているようであった。われわれがマグリブ諸国(モロッコ・アルジェリア・チェニジアなどの北西アフリカ諸国のことを指す)を明確に区分できないのと同じであろう。今日は遠くまでは行けないので、近くの小高い丘に上り、夕日を眺めた。夕日に照らされた砂丘は非常に印象的であった。わざわざここまで来て良かったと思った。しばらく夕日を眺めていたが、日が完全に沈むと真っ暗になるので、その前にホテルに戻った。

 18:30が過ぎ、夕食の時間となったので、ホテルのレストランに向かった。準備が出来るまでしばらく待っていると、欧米人ライダーがやってきたので、テーブルに着くまで話をした。彼らはドイツのミュンヘンの近くの街に住んでいて、冬休みの3週間を利用してモロッコまで来たと言う。ドイツでは今の季節は雪が積もっていてバイクに乗れないので、ピックアップトラックでスペインまでバイクを運び、スペインはアルメリアからフェリーでメリリャに渡ってきたとのことであった。モロッコ入国後、タザとミデルトでそれぞれ宿泊してここにたどり着いたという。彼らはもう一泊ここにとどまった後、ザゴラ(Zagora)などにも立ち寄ると言う。オフロードの利点を活かし、砂漠を走り回るようであった。途中で車で単独旅行をしているというスイス人も交えてさらに話し込んだ。私が日本では「BMWのバイクは高級品だ。」と言うと、ドイツ人ライダーは「あんなものはダメだ。バイクは日本製が良い。」と言ってきたのは以外であった。また、スイス人に対しては、日本とドイツは第二次世界大戦から同盟国であるが、スイスはどっちにも付かなかったなどと冗談を言い時間を過ごした。そうこうしているうちにテーブルの準備が出来たので、我々は席に着いた。

 夕食はモロッコの代表的な料理である、モロッカンサラダとクスクスが出てきた。モロッコに上陸してから、本格的なモロッコ料理を食すのは初めてであった。ようやくモロッコ料理にめぐり合えたので感慨ひとしおであったが、量が多かったので食すのに苦労した。食後、腹ごなしにホテルの屋上に出た。夜空は星が空一面に広がっていた。日本ではまず見られないであろう。砂漠の奥に入ればもっとすごいのかもしれないが、長い間都会の空しか見ていない私にはこれでも新鮮であった。

再びホテルのレストランに入ると、ホテルのスタッフが楽器を奏でながらベルベルの伝統的な踊りを披露していた。ドラムと鳴り物に合わせて、踊りは段々と激しくなっていった。宴はしばらく続いたが、22:00が過ぎ、お開きになったので部屋に戻った。明日は早起きする予定であったので程なくして就寝した。

(走行距離:62.5km)

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