2010年12月30日(木) 天候 晴

 朝は5:30前に起床した。前日早めに就寝したのは、砂漠から昇る日の出を見るためであった。昨日ベルベルのホテルスタッフに聞くところによると、ホテルから見える一番高い砂丘までは約1時間くらい要するという。また、日の出の時間はこの時期だと7:00頃とのことであった。よって、少し余裕を見て5:40過ぎに出発した。

 部屋の外に出ると、ホテルの明かりなどは消されていたので、辺りは真っ暗であった。しばらくすると暗闇に目も慣れてきたので何とか歩くことが出来た。砂漠に足を踏み入れ、一番高い砂丘を目指し歩き始めた。空を見ると、月と金星が並んでいた。月と金星が並んでいるモチーフは、イスラム国家の国旗でよく使われている。このように砂漠で眺めた月と金星を思い浮かべて国旗にしたのだろうかと想像してしまった。最初のうちは最短距離で一番高い砂丘を目指していたので、砂地に足を取られる状況であった。そのような歩き方では疲れてしまうので、山登りと同じように、砂丘の尾根?を伝って歩くようにした。こうすれば、距離的には少し遠回りでも疲れが少ないため、効率的に歩くことが出来る。しばらく歩くと、東の空が明るくなってきたので、少し歩きやすくなった。ひたすら歩き続けて、何とか一番高い砂丘の麓までたどり着いた。最後は砂丘の斜面をよじ登り、何とか6:40頃に一番高い砂丘の頂上にたどり着いた。

 

 

 

 

 頂上には、欧米人と日本人のカップルが1組ずつ先客でいた。もっとたくさんいるのかと思ったが、意外と少ないと思った。朝日を待ち構えていると、空全体が明るくなってきて、遠くのほうまで見渡せるようになった。地平線の向こうまで砂丘が続いてる様は見ごたえがあった。このような光景を現物で見るのは初めてであった。

 

 

 

 

 

 

しばらく待ち続けた、7:10過ぎに遂に朝日が昇り始め、砂漠一面を照らし始めた。改めてサハラ砂漠の広大さを実感した。朝日と反対側の西のほうを見ると、ホテルなどが見えたが、ここからホテルまで直線距離が短そうだったのが以外であった。しばらく朝日を眺めていると、他の観光客が一番高い砂丘に次々に登ってきた。フランス人の家族にこの砂丘の高さを訪ねられたので、200mくらいと答えておいた。しばらくして、日も高くなってきたので、砂丘を降りることにした。

 

 

 

 

砂丘の斜面には砂紋を確認することが出来た。テレビや写真でしか見たことの無い光景を現物で見ることが出来たのは非常に有意義であった。また、雲ひとつ無い青空と砂丘とのコントラストも印象的であった。しかしながら同じような光景なので、少し道?に迷いながら何とかホテルに戻ってきた。時刻は8:10を過ぎていた。一旦部屋に戻り、朝食を取るためレストランに向かった。朝食はビュッフェ方式で、パン・チーズ・ジャム・ゆで卵・オムレット・トマト・ナツメヤシ・コーヒー・ジュースなどが並んでいたので、それらをピックアップして、外のテラスにて食した。砂丘を眺めながら食す朝食は格別であった。朝食を食した後、荷造りをして9:30過ぎにホテルを出発した。

 ホテルからピステを横断してN13に合流し、N13を北上した。しばらく走り続けると、リッサニの街に入った。リッサニは思ったより活気のありそうな街であった。土の壁の建物が点在する光景を想像していたが、エルフードでも見受けられたピンクとオレンジが混ざった壁の建物が大半だった。ガイドブックに載っている「ホテル・シジルマッサ」(Hotel Sijilmassa)の前や街の入り口の門などで記念撮影をした。ちなみに、モロッコのタクシーはメルセデス・ベンツの旧車が多かった。リッサニからさらにN13を北上してエルフードに戻ってきた。エルフードからは地方道702で西に向かった。(ちなみに、N●は国道を指す。)

 地方道702をしばらく走ると、周りは乾燥したステップの光景となった。20分くらい走ると、Oulad Rhanem ej Jorfという街に差し掛かった。時間の関係で街を見て周ると言うことは出来なかったが、観光地とは違った、モロッコ南部の地方の街を見るのも面白い。更に走り続けると、砂漠の中に井戸が現れた。砂漠のオアシスの灌漑システムの一環なのであろうか。観光客らしき集団が井戸の周辺に集まっていたので、観光客相手に井戸を披露しているのかもしれない。道路脇の距離標を見ると、ワルザザードまで275kmとあったので、先を急ぐことにした。西に向かうにつれ、草木も少なくなってきて、荒涼とした赤茶けた景色が地平線まで続いていた。さらに走り続けると、N10と合流し、12:00頃にTighdouineという街に差し掛かった。最初、ここがティネリールだと間違えてしまったので、少しこの街で時間をつぶしてしまった。まもなく間違いに気が付いたので、街の郊外でガソリンを補給し、再び走り出した。走り続けて13:50頃にティネリール(Tinghir)にたどり着いた。

 ティネリールから右折して、北へ向かった。ティネリールに立ち寄った理由として、ここから北に14km向かったところにある、トドラ渓谷(Gorges du Todra)に向かうためであった。少し進むと、曲がりくねった険しい道となり、なかなか距離が稼げなかった。立ち止まって周りの景色を見たかったが、トドラ渓谷にたどり着くのを優先して先を急いだ。走り続けて14:20頃にトドラ渓谷に到達した。

 

 

 

 

 

 

 

 

トドラ渓谷は、トドラ川の両側にそびえ立つ200〜300mの岩壁であり、ロッククライミングでも有名なところであるらしい。透き通ったトドラ川の流れのすぐ両側に迫る岩壁は圧巻であった。また、岩壁に飲み込まれそうな位置に建っているホテルやカフェなども迫力があった。まるでアメリカのグランドキャニオンのようであった。(行ったこと無いけど) 赤茶けた岩壁とみやげ物屋のカラフルな布地とのコントラストも印象的であった。トドラ渓谷からさらに20kmほど行くとタムタトゥーシュという村があるそうだが、時間の関係もあったので、来た道を戻ることにした。

 帰りは、ティネリールまでの景色を堪能することにした。少し離れたところから渓谷を見ると、グランドキャニオンに家々が張り付いているような状況が確認できた。日本にいては想像できないような景色である。曲がりくねった険しい道を戻り続けると、オアシスの見える高台に差し掛かったので、バイクを停めて記念撮影をした。テーブルマウンテンの下に広がるナツメヤシの木々が、典型的な砂漠のオアシスという雰囲気をかもし出していた。オアシスの風景を記念撮影しながら寄り道を繰り返し、N10との合流点に戻ってきた。

 ティネリールに立ち寄ったもうひとつの目的は、グラウイのカスバ(Kasbah de Glaoui)を見ることであった。カスバとは要塞のことである。ムハンマド5世通りのガソリンスタンドを右折し坂道を登ると、オテル・サグロ(Hotel Saghro)前にたどり着いた。このホテルのすぐ横に建っている廃墟がグラウイのカスバであった。

 

 

 

 

 

このカスバは、20世紀初頭にマラケシュのパシャ(太守:地方司令官的なもの)であったターミ・エル・グラウイ(T'hami El Glaoui)により建立されたものである。ちなみにこの人物は、当時のモロッコの形式的な元首であるスルタンをけん制する目的で、モロッコの宗主国であったフランスから珍重されたそうである。所々の壁や塔などが崩れてはいるが、まだカスバの形態が残っている。中への入り方が分からなかったので、周辺を徘徊していると、アーチ状の入り口らしきところを見つけたので、そこから中に入ることにした。荒廃が進んではいたが、カスバの様子を窺い知ることが出来た。修復などすれば観光資源になるのにと思った。しばらく内部を見学して、カスバを後にした。 N10に戻った頃には、16:00になろうとしていた。今日はワルザザード(Ouarzazate)まで行くつもりであったので、すぐにティネリールを出発した。

 

 

ワルザザード〜ティネリール〜エルラシディア間は、カスバ街道(Route des Kasbahs)と呼ばれているルートで、街道沿いには数々のカスバが残っている。名もわからない小さな町のカスバ跡や荒野を経由し、ブーマルン・ダデス(Boumalne Dades)などで立ち止まり、記念撮影などを繰り返しながら走行した。また、バラで有名といわれている地域では、街道沿いにバラ製品の土産屋が並んでいた。日本語で書かれた宣伝もあったので、こんなところまで日本人相手の商売が成り立つのかと感心してしまった。ちなみに土産屋の傍の小山に岩がアンバランスに乗っかっているのになぜか気になった。時刻を見ると17:10を過ぎていたが、ワルザザードまではまだ100km以上走らなければならなかったので、寄り道せずに走り続けることにした。

 夕日も沈み、すっかり暗くなった中を走り続けた。ハイビームで視界を確保し、前を走る車のテールランプを追いかけながら走り続けると、街の明かりが見えてきたので一安心した。18:30過ぎにようやくワルザザードの中心部のムハンマド5世通りに沿いのBMCE前に到着した。今夜の宿を確保しなければならなかったが、中心部のホテルは安ホテルが多く、バイクの駐車に不安があったので、丘の上のホテルを目指した。(バイクでなければ、たいていの安ホテルでもOKなのだが・・・) ムハンマド5世広場から給水等方面の坂道を上り、ガイドブックに載っていた、オテル・パルムレ(Hotel Palmeraie)に入った。門をくぐると、ベルベル系の陽気な駐車場係員に案内されて、駐輪場にバイクを停めた。フロントに行き、空室確認をすると運よく空室があったので即決した。案内係についていくと、バンガロー風の雰囲気のよさそうな建物が並んでいた。部屋もベッドが二つにバスタブまで付いて280DH(朝食付き)、大変お得な気分になった。なお、ガイドブックで書かれていた値段よりかなり安かった。宿も決定したので、パニアケースを部屋に持ち込み、街中に繰り出すことにした。

 中心部のムハンマド5世通り沿いのBMCE前には、ホテルから10分ほどで到着した。朝食以来何も食していなかったので、ガイドブックに載っていた、カフェ・レストラン・タムダ(Cafe Restaurant Tamda)に入った。席に座り、名物のハリラ+串焼きの盛り合わせ+コーラ(7+40+7=54DH)を注文した。出てきた料理は評判どおりうまかったので満足した。満腹になったところで店を後にした。食後は中心部を少し徘徊した。ムハンマド5世通りから一歩奥にあるスークや、アル・ムーアヒディン広場(Pl.Al-Mouahidine)などを見て周った。

 

 

 

 

 

 

 

さすがに21:00を過ぎると店もほとんど閉まっており、少し寂しかった。アル・ムーアヒディン広場に面したホテル・バブ・サハラ(Hotel Bab Sahara)には、この時間にチェックインしている欧米人バックパッカーの一団がいた。こんな時間にチェックインとはさぞかし大変だなと思ってしまった。一通り中心部を徘徊したので、途中モロッコの公営住宅などを見学しながらホテルに戻り、23:00前には就寝した。

(走行距離:415.6km)

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