2010年12月31日(金) 天候 晴

 朝は6:00前に起床した。昨日はかなり頑張って距離を稼いだので、今日はゆとりをもってツーリングすることが出来そうであった。この時間に起床したのは、昨日フロントで朝食時間が6:30からだと言われたからであった。6:30になったので、離れのレストランへ向かった。通り道にはプールがあり、リゾートな気分を味わうことが出来た。(冬だけど) レストランに入ると、スタッフも含め人一人いなかった。しばらくしてスタッフが出てきて、ビュッフェコーナーにパン・飲み物等を並べ始めた。6:30スタートと言われたので早く来たのに残念な結果であった。仕方が無いので席に座ると、スタッフの一人が皿にパンを盛り合わせて席まで持ってきた。コーヒーなども持ってきたので、何とか朝食を取り始めることができた。折角なので皿のパンは全て制覇し、ビュッフェコーナーのフレークなども制覇した。満腹となったところで他の宿泊客もレストランに入ってきたので、レストランを後にした。

 部屋に戻り、少し寛いだ後荷造りをして、8:30頃にチェックアウトした。バイクにパニアケースを取り付け街中へと走り出した。ムハンマド5世通りを1km弱東へ進むと、最初の目的地であるタウリルトのカスバ(Kasbah de Taourirt)が見えてきた。雲ひとつ無い青空にそびえる様子は、正に要塞といった風格であった。

 駐車場にバイクを停めると、駐車場の係員がそばに来て駐車料金を徴収してきたので、5DHを支払った。入り口に向かい、入場料20DHを支払い入り口からカスバの中庭に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タウリルトのカスバは、昨日立ち寄ったティネリールにあるカスバと同様に、グラウィにより1912年に建設されたもので、1920年代にフランスがワルザザードの街を建設するよりも早い。保存状態も良いので、当時のカスバの様子を現在によく伝えている。まだ9:00前にもかかわらず、すでに西欧人の団体客が大勢訪れていた。建物の中は数多くの部屋に分かれており、グラウィの一族が数多く住んでいたことが伺える。階数も4〜5階建てと思われる。これだけの規模の建物が、土を主な材料として建設されていることも驚きである。建物の中を進むと、礼拝の間と思われる広い部屋にたどり着いた。ここは他の部屋と異なり、天井は木の装飾で飾られており、無骨な他の部屋と一線を隔していた。西欧人団体客の間を掻い潜りながら一通り周った後、9:30前にカスバを後にした。

 カスバからムハンマド5世通りを西方面に戻り、ガソリンを補給した後、北西に向けてN9を走り出した。街中を抜けると峠道になってきた。タブラハト峠を越えると、遠くにティフルトウトのカスバ(Kasbah de Tifoultoutte)が見えてきた。ここもグラウィ家のカスバのひとつである。グラウィ家の勢力範囲がいかに広大であったかが窺い知れる。オアシスの中の土壁の建物群が、モロッコらしさをかもし出していていい感じであった。バイクを停めてしばし景色を眺めていると、そばにある陶器屋の少年の売込みが激しくなってきたので、ここは撤退することにした。

 

 

 

 

 

 引き続きN9を走り続けていると、道路沿いに土壁の集落が現れた。観光地化されていない普通の集落のようであったので、集落の中に入ることにした。集落の中は土壁の民家やモスクなどがあり、雲ひとつ無い青い空に土壁の民家のコントラストが非常に印象的であった。モロッコ南部の典型的な集落を間近で見ることが出来有意義であった。このように無名の集落に気ままに立ち寄ることが出来るのも、バイクツーリングの魅力である。しばらく集落を練り歩いたあと、11:00前に集落を後にした。

 しばらく走り続けると、周りの景色はテーブルマウンテンのような岩山が目立つようになってきた。道路も上り坂のカーブが目立ってきた。エンストしたバスが立ち往生していたりして、この先の峠の険しさを予感させた。また、周りの木々についても、出発したときは椰子の木が多かったのだが、段々と広葉樹?のような木々に変化しているのが感じ取れた。標高が上がっているからなのだろう。さらに走り続けると、その木々もすっかり少なくなり、荒涼とした岩山ばかりが目立つようになってきた。相当標高が上がったと思われる。道は岩山を縫うように走っていて、道端から下を見るのが怖いくらいであった。いよいよオート・アトラス越えに突入したことを実感した。

 遠くの山々を眺めると雪が残っていた。しかしながら、私が走っているN9には雪が残っていなかったのがラッキーであった。この季節のオート・アトラス越えは雪のリスクがあると聞いていたので、少し不安であったが、ここ何日かは、事前に天気予報等を見る限りでは雪が降っていないとあったのでチャレンジした次第であった。

 気づかないうちに、2092mの最高地点であるティジン・テスト(Tizi-n-tesut)を通り過ぎ、N9は下り坂に突入した。この先続く道が見えたが、一部は山の尾根を縫うように道が走っており、両側が断崖絶壁である。強風が吹いて道端に流されたらひとたまりも無い。ただ、景色としては絶景なので、バイクを恐る恐る景色に収まるように停め、記念撮影をした。雲ひとつ無い青い空(繰り返しのフレーズになるが・・・)に聳え立つオート・アトラスの山々と、山々を縫うように走るN9の取り合わせが新鮮であった。しばし景色を眺め、先に進むことにした。時刻は12:40を周っていた。

 N9をしばらく下り続けると、植生が次第に豊かになってきた。ただ木々は広葉樹で、遠くに雪を頂いた山々が見える様は、アフリカとは思えない景色であった。あとはひたすら走り続け、15:00前にN9からN8に入り、マラケシュの市街地に入った。

 市街地は広いので、まずは国連通り→ハッサン2世通りを経て、マラケシュ駅(Gare de Marrakech)にたどり着き、自分の今いる位置を把握した。次に今夜の宿探しだが、旧市街は高級リヤドか安宿しかなく、安宿だとバイクが心配だったので、駅近くの新市街で探すことにした。最初、目星をつけていたホテルに空室を問い合わせたが、生憎満室と断られた。マラケシュはモロッコ随一の観光地であり、さらに年末ということもあり、無理も無い話しであった。他にも数件ホテルを探し、ようやく宿を決めることが出来た。(Tachfine Hotel:430DH) 部屋の質の割には高いと思ったが、観光地と言うこともあり、バイクを駐車できることも考え決めてしまった。しばらく寛いでから、17:00過ぎに旧市街に繰り出すことにした。

 旧市街には、私の宿泊しているホテル(Rue Mohammed Al BeqalとAvenue Al Mouqaouamaの交差付近)からムハンマド5世通りに出て、南東に2km弱ほど歩くことになる。バスもあるらしいが、道が込んでいる上、バス停はたくさんの人が並んでいたので、歩いたほうが早いと思い、バスでの移動は考えなかった。1kmほど歩くと、コブ門(Bab Nkob)が見えてきた。門を越えてさらに1kmほど歩くと、アル・マンスールモスク(Mosquee Al Mansour)にたどり着いた。喉が渇いたので売店でスプライト(5DH)を購入しさらに歩くと、あの有名なアグノヴ門(Bab Agnaou)にたどり着いた。街灯に照らされた門は幻想的で、思わず見入ってしまった。時刻を見ると18:20を周っていたので、いよいよメインのフナ広場に向かうことにした。

 フナ広場は正式名をジャマ・エル・フナ広場(Pl. Djemaa el Fna)といい、モロッコ最大のメディナと言われており、マラケシュの中心部である。毎日夕方になると屋台が出て、大道芸人も繰り出してお祭り騒ぎの様相となる。マラケシュは1071年にムラービト朝により都と定められ繁栄した。現在でもモロッコの文化の中心地であり、マラケシュの旧市街地は、1985年に世界遺産に登録された。また、フナ広場自体も2009年に世界無形文化遺産に登録されている。

 

 

 

 

 

 

フナ広場に入ると、すでに屋台が立ち並んでおり、料理をする煙と大道芸人の演奏などの熱気に飲み込まれた。広場内を練り歩き、喉が渇いたのでフナ広場名物のオレンジジュース(4DH)を注文し、その場で飲み干した。次に、ハリラ(モロッコ風スープ、5DH)やカタツムリ(5DH)をはしごして、メインの食事を採ることにした。数多くある屋台の客引きと話を交わしながら、空腹がピークになったので一軒の屋台に落ち着き注文した。(パン+ケバブ+トマトソース+銀杏?=50DH) 本格的に串刺しケバブを食すのは意外にも初めてなのでおいしく食した。ボリュームも多くすっかり満足した。席を立ち再びオレンジジュースを飲み干した。すっかり病みつきになってしまった。

 腹も満たされたので、今回のツーリング初のハマムを体験することにした。最初リヤド・ジトゥン・ラクディム通り(Rue Riad Zitoun Lakdime)のハマムで値段を尋ねると、18DHと言われ、さらに追加料金を要求されたので、入るのをやめた。続いて、アグノブ門通りと リヤド・ジトゥン・ラクディム通りの間の安宿街通りにあるハマムに入った。値段を尋ねると8DHとのことだったので、落としどころかなと思いここに決めた。今回はハマムに入ることを想定して、着替えとタオル・あかすりタオル・石鹸等を持ってきた次第であった。

 料金を支払い、荷物を受け付けのおじさんに預け、バケツを3つほどもらい、ひとつにタオル、もうひとつに石鹸等を入れ、下着だけになり中に入った。(写真はハマムを出る前に撮影したもの) ちなみに、ハマムに入るには全裸になってはならない。(世界的に見ても、人前で全裸で風呂に入る文化は日本以外はあまり思いつかない。) 中に入ると、湯気でまさにサウナ状態であった。(ハマムはアラブ風蒸し風呂のことだから当たり前だが・・・) 蛇口からお湯をバケツに入れ、あかすりタオルで体をこすり、バケツのお湯で洗い流した。湯気で汗だくなので気持ちよくあかすりが出来た。先客には地元のモロッコ人が2名ほどいた。それぞれ馴れた手つきであかすりをしていた。日本人が風呂に入るのと同じ日常的なものなのであろう。ゆっくりとあかすりをして頭も洗い、すっきりしたところでしばらく寛いだ。 モロッコ人は1回の入浴?で数時間を費やすと言う。さすがに私は水分が恋しくなり、1時間足らずで外に出た。英語の少し話せる地元客に「ハマムはどうだ?」と聞かれたので、「ナイスだ」と答えると相手も満足げだった。受付のおじさんに許可をもらい、ハマムの中を記念撮影をして、ハマムを後にした。時刻は21:20を過ぎていた。

 再びフナ広場に戻り、オレンジジュースで水分補給した。腹は満足してたので、屋台で甘い砂糖菓子?(5DH)を食した。チャイ(紅茶)と一緒でなければ日本人には甘すぎる味覚であった。まだまだ続くお祭り騒ぎの中、フナ広場周辺などを歩いて周った。そうこうしているうちに、時刻は0:00を周ろうとしていた。馬に乗った警官などが広場に入ってきたりする中、観光客等によるカウントダウンが始まり、2011年を迎えた。しかしながら、ここはイスラム教の国であるため、日本や欧米のような西暦の新年を歓迎するような騒ぎは無かった。(イスラム暦の新年は別の日) 0:00も過ぎると、さすがに屋台もほとんどが閉店となった。私も翌日(今日になってしまったが・・・)の日程が気になったので、宿に戻ることにした。途中クトゥビア(Koutoubia)に立ち寄り記念撮影をして、道端で騒いでいる地元の若者を横目に見ながら宿に戻り、1:00過ぎに就寝した。 

(走行距離:217.5km)

 

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