2012年5月3日(木) 天候 晴

 今朝は7:00頃に起床した。朝食を食すため7:30にレストランに向かった。ハムやパンなどを皿に取り朝食を食した。食後、部屋で少し寛いでから荷造りをして、9:20頃にホテルを出発した。ちなみに昨日レストランで遭遇した他の宿泊客はライダーで、彼らの乗ってきたバイクはまだ停車中であった。ホテルとは特に関係は無いが、ホテルの向かいは「Palestar Osaka」という柔道と剣道の道場であった。サルデーニャの山間の町で「大阪」という地名を見るとは思わなかったので写真を撮ってしまった。

 ホテルから5分ほど走り、最初の目的地に到着した。訪れたのはサルデーニャ生活・民俗伝統博物館Museo della Vita e delle Tradizioni Popolari Sardeであった。入場料3ユーロを支払い、早速中に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここはサルデーニャ島の各地の民族衣装が数多く展示されている。また、サルデーニャの民家なども建てられており、サルデーニャの文化を短時間で習得することも可能である。また、サルデーニャの人々の写真も展示されており、つい近年まで民族衣装が普通に着用されていたことを伝えていた。最初は誰もいない博物館内をゆっくり見て周っていたが、いつのまにか年配の団体がやって来て、館内はにぎやかになった。館内をくまなく見学し、10:00過ぎに博物館を後にした。

 次に向かったのは、ヌーオロ駅であった。博物館から7分ほどで駅前に到着した。急いでやってきたのは、10:14発の列車を見学するためであった。今回見学する列車はサルデーニャ鉄道Ferrovie della Sardegnaであり、arst(Azienda Regionale Sarda Trasporti サルデーニャ地域交通会社)が運営している。軌間950mmの狭軌鉄道で、主要都市のみを結んでいるトレタニアの路線を補完するようにサルデーニャの地方都市を結んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅構内に入ると出発間近のディーゼル車が停車していたので、すかさず記念撮影をした。さすがに出発間近だったので車内には入らなかった。定刻となり列車はマコメールMacomerに向けて出発した。列車を見送った後、10:25頃にヌーオロを後にした。

 

 

 

 

 

 

 SS129からSS131に入り、東方面へとバイクを走らせた。SS131が貫いている一帯はマキmaquisと呼ばれる荒涼とした荒地で、かつては犯罪者などが逃げ込んだとされている。青い空と岩山のコントラストが鮮やかだったので、思わず記念撮影した。走り続けて11:40頃にオルビアOlbiaを通過し、さらに北上した。ここでわき道にそれることにした。

 オルビア近辺はコスタ・スメラルダと呼ばれる美しい海岸線が続いており、セレブの避寒地となっているなど高級リゾートとして世界的に有名である。私はリゾートには興味はないが、美しい海岸には興味があるので目指した次第であった。アランチ湾Golfo di Aranciを望む高台で記念撮影をした。次にマリネラ湾Golfo di Marinellaでも記念撮影をした。噂に違わず美しい海岸であった。景色を十分に堪能し、先を急いだ。SS125をひたすら北上し、パラウPalauでSS133bisに乗り換え北西に走り続け、13:40頃にサンタ・テレーザ・ガッルーラSanta Teresa Galluraの港に到着した。

 サンタ・テレーザ・ガッルーラからはコルシカ島行きのフェリー(Moby社)が出港している。私の目指したフェリーの時刻は15:00であったので、寄り道しながらも急いでここまでやって来た次第であった。早速オフィスに行きチケットを購入した。(大人1名+バイク+諸費用=39.76ユーロ) チケットも購入し一安心したので、サンタ・テレサ・ガッルーラの街中を巡ることにした。

 まずは現金投入式の無人ガソリンスタンドで給油し、教会に入った。白亜の建物と青い空とのコントラストが印象的であった。イタリアの海岸部はこのような取り合わせが多く、ついつい記念撮影してしまう。

 

 

 

 

 

 

続いてテスタ岬Capo Testaを望むSanta Reparataを訪れた。コバルトブルーの海と白い砂浜と青い空のコントラストが印象的であった。さらに岬の向こうにはコルシカ島を望むことが出来た。記念撮影をして過ごし、14:30となったので港に戻ることにした。

 10分ほどで港に戻ると、多くの車が列を成していた。私も列に加わった。出港予定の15:00前になりようやくフェリーの中に誘導された。フェリーは予定より20分ほど遅れて出港した。

サルデーニャ島とコルシカ島とはわずか11kmほどである。フェリー内は短距離ということもあり、座席とバルがあるくらいの造りであった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天気も良いので、デッキ席に出て海と空を眺めた。フェリーは順調に進み、コルシカ島の南端の町であるボニファシオBonifacioが見えてきた。島に近づくにつれ、白い断崖が眼前に現れた。サルデーニャ島と異なる光景にしばし見入った。出港から40分ほどしてボニファシオの港に入港した。

 遂にコルシカ島に上陸した。シチリア島・サルデーニャ島に続き、イタリア周辺の主だった大きな島をバイクで制覇したので、感慨ひとしおであった。また、コルシカ島はフランス領であるため、私にとっての初のフランス入国となった。港周辺で記念撮影をし、少しだけフェリーのオフィスを冷やかして、16:20頃にボニファシオを出発した。

 ボニファシオからはN196を北上する形で走り出した。コルシカ島はサルデーニャ島と異なり平地が少なく山がちである。また、道路は高規格の道路がほとんど無く、海岸線や山並みを縫うように走っているため、距離の割には所要時間を要する。

 

 

 

 

 

 

途中フォレ・ドマニヤール・ド・ヒュンタナクシアForet Domaniale de Funtanacciaの郊外の海岸線をバックに記念撮影をした。

コルシカの海岸線は美しく、ツーリングルートにはもってこいである。行程的に余裕が無い中でコルシカ島に上陸した甲斐があった。18:10頃には山間の町コロCauroで簡易記念撮影をした。素朴なコルシカの典型的な町である。標識を頼りにさらに走り続けて、N193→N196に乗り換え、19:00頃にアジャクシオAjaccioにたどり着いた。ちなみに、コルシカ島の標識は、フランス語とコルシカ語が併記されている。(例えば、アジャクシオの場合は、フランス語:Ajaccio コルシカ語:Aiacciu)

 アジャクシオの市街地に入り、今夜の宿を探した。夏のヨーロッパは日が沈むのが遅いので、宿を探す際には大変助かった。しかし、コルシカ島のガイドブックを持ち合わせていなかったので、スマホの地図だけを頼りにホテルを何件か当たり、La Citadelleの近くでようやくホテルを決めることが出来た。(Hotel San Carlu Citadelle 80ユーロ) 時刻は19:40を過ぎていた。アジャクシオのホテルはとにかく高いと感じたが、アウジャクシオはリゾート地のような感じだったので仕方が無いと諦めた。ヨーロッパのホテルには珍しく部屋にバスタブがあったので良しとした。

 部屋に荷物を置き、早速街に繰り出すことにした。まずはホテルのフロントで教えてもらった、Rue Saint-Charles沿いにあるナポレオンの生家を訪れた。ナポレオンはコルシカ島で1769年に誕生した。ナポレオンの生地にバイクで訪れるとは思いもしなかった。記念撮影をして次に向かった。Place Fochを経由してフェリーターミナルに入った。

 

明日のフェリーの時刻表などを入手しようとしたが、入手することが出来なかったので諦めた。続いてアジャクシオ駅を訪れた。さすがに20:40を過ぎていたので営業はしていなかったが、新型列車が係留されていたので記念撮影をした。

 駅からPlace Fochに戻り、ナポレオンの像を記念撮影し、ホテル周辺に戻ってきた。

 

さすがに空腹となっていたので、ホテルの近くのレストラン(Chez Paulo)のテラス席に座り、ピザ(Ajaccienne)+水(11.5+4=15.5ユーロ)を注文した。今回のツーリングではピザを食してばかりだが、うまいので飽きは来ない。出てきたピザをおいしく食して店を後にした。22:40前にホテルに戻り、就寝した。

 【走行距離:325.0km】

 

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